
あるドーピング問題が、1人の小娘の全てを押し潰そうとしている。
絶望の中で滑った結果が破滅だとしたら?これほどの残酷が何処にあろうか。
”なんであの娘が許されて、私達がダメなの?”
過去にドーピング違反でメダルを剥奪されたり、或いは選手生命を絶たれたアスリートたちは、決まってこう口を揃えるだろう。
事実、ワリエワやトルソワらの同国のライバルを抑えて、見事に金メダルを獲得したシェルバコワは、”言いたい事は直接本人に伝える”と、(彼女への)失望と怒りの炎が見え隠れする。
しかしこれが日本なら、”彼女が可哀そ〜”で終わるだろうか。そういう意味では、(どんな状況でも)現実を見据えているロシア娘とは大きな違いである。
15歳の(絶頂期にある)カミラ・ワリエワの超絶した演技を観たいという気持ちは、理解できなくもない。
しかし禁止薬物が発覚し、(プレッシャーを含め)各国メディアや元フィギア選手らのパッシングを受け続けた疑惑の少女に、決勝(フリー)を戦うだけの体力も気力も残ってはいなかった。
まるで、無残にも羽根をもぎ取られた”飛べる筈もない”憐れな黒い白鳥みたいだった。
しかし逆を言えば、メダルを獲れなくて彼女はラッキーだったのかなと思わなくもない。
仮に金メダルを獲ってれば、(保留扱いになり)少女がドーピングに至る厳密な調査が行われた後で、何らかの重い処分が下されたであろう。
つまり、今回はどっちに転んでも金メダルは無理だった。
それに万が一表彰台に上がってたら、他の選手のメダルが無効になる可能性もある。
”何で小娘のせいで、濡れ衣を被らないといけないのよ”ってのは目に見えてる。
事実、(最初は不機嫌だった)銀のトルソワも”メダルが持ち帰れるのは嬉しい”と語った。
トリメタジジン
昨年12月のロシア選手権、ワリエワの検体から禁止物質のトリメタジジンが検出された。がしかし、スポーツ仲裁裁判所(CAS)は彼女に今大会の出場継続を認めた。
ROCフィギアのチームドクターは、08年北京夏季五輪で(不正輸血を行い)資格処分となったF・シュベツキー医師である事も、“組織的犯行”説の根拠になっている。
トリメタジジンは、狭心症や心筋梗塞などの薬で、冠状動脈を拡張して、血管が広がる事で血流が良くなり、心肺機能が高まるとされる。
しかし、冠状動脈を拡張する薬は他にもあるのに、敢えて(米国でも禁止されてる)薬を使うのは、(副作用である)食欲不振を引き起こすからとの声がある。
つまり”血流増加と拒食”の禁止薬物を使い、(組織ぐるみで)少女を太らない体質に作り上げた事は、否定できない事実であろう。
確かにTVで見る彼女は、他の選手とは別次元の存在である。まるで異星人を思わせる肢体は、(15歳の少女はおろか)フィギアの次元を超えていた。
ジュニア以来負けなし、フリーでは男子をも超える最高得点を叩き出す。まるで、薬物でギリギリにまで”削りあげられたサイボーグ”だ。
金のシェルバコワも銀のトルソワも、その完璧無比なまでの演技には異次元の何かを思わせたが、ワリエワの肉体とその衝撃に比べれば、流石に見劣りする。
フリーの決勝では、華麗に舞う事は出来なかったが、実力の欠片とその凄みを魅せつけてはくれた。
少なくともコーチが責め立てる様な”諦め”はなかったし、最後まで堂々と戦った(と思う)。が、一部の声にある様に、周囲からの非難と自らへの絶望で、あえて破滅の道を選択したと言えなくもない。
参加すべきではなかった
”彼女はオリンピックに参加する事を許されるべきではなかった・・・この様な状況に置かれた事は壊滅的でもある”
”彼女はあの氷の上にいるべきじゃないし、自分よりも大きな問題の顔になる様な立場に置かれるべきではなかった”
と英国メディアは、元五輪選手のコメントを紹介した。
日本のメディアは、禁止薬物の副作用や後遺症の怖さを盛んに紹介するが、今回の問題はIOCがROCがCASが、15歳の少女をリンクに立たせた事に最大の矛盾がある。
それに比べれば、(オリンピックでは慢性的に騒がれる)ドーピング疑惑なんて、ちっぽけなもんだろう。
組織ぐるみであろうが、故意であろうが、分かりきって服用したのであろうが、彼女を出場させるべきではなかった。
ワリエワ本人がどう思ってたかは知る余地もないが、今回受けた精神的ダメージとトラウマは、一生彼女の身にしつこくついてまわるだろう。
彼女が(4年後の)19歳の大人になった時、今の異次元の体型と超越したスキルを維持できるかどうかは疑問だ。が、人生の半分に相当する程のダメージを負わせてしまっては、元も子もない。
そういう事が解っていながら、周りの大人共は敢えて(一か八かの)博打を打つ。がしかし、今回の賭けはどっちに転んでもアウトなのは明白だった。
オッズがゼロの丁半博打に、15歳の少女の半生を全て注ぎ込んだのだから。
最後に〜絶望はやがて希望に変わる?
「ザギトワ活動停止」でも書いたが、女子フィギアの選手寿命は極端に短い。
ザギトワも前回の平昌で金を獲った時は15歳だ。その2年後、僅か17歳で引退。今大会、金銀を独占したシェルバコワとトルソワは共に17歳で、メダルを獲るにはギリギリの年齢であった。
なぜ彼女たちは、そんな小さい頃から命を削ってまでも、いや敢えて禁止薬物の危険を犯してまでも、フィギアスケートに全てを賭けるのか?
それは、彼女たちの殆どが貧困の出だからである。つまり、スケートだけでしか貧困を脱する事が出来ないのだ。
勿論、ワリエワもその1人であろう。しかし、そんな彼女を誰が責める事ができようか。
責められるべきは、IOCやROCやCASやコーチたちである。
事実、コーチのトゥトべリゼは、”なぜ諦めたの?説明しなさい”と、絶望の縁に沈み込んだ彼女を叱り飛ばした。が、彼女からすれば、”なぜ私を出場させたの?”って大声で叫びたかったろう。
しかし15歳の少娘には、叫ぶ力さえ残されてはいなかった。つまり、彼女も(大人の身勝手な論理に潰された)犠牲者の1人である。
確かに、天才少女のスケート人生はこれで終わりを告げるかもしれない。
しかし、神様が存在するなら(だが)彼女にもう一度チャンスを与える筈だ。
19歳になる4年後は、異次元の肢体も驚異のスキルも持ち得ないかもしれない。しかし、参加する事はできる筈だ。
そう、オリンピックは参加する事に意義があるのだから・・・
しかし今回に限って言えば、参加しない事の意味に気づくべきだった。
参加する事のリスクと参加しない事のリスクを天秤にかければ、答えは明らかだったのだから。
リベンジという言葉が存在するのなら、今の彼女の為にあるのだろうか。
絶望はいつしか希望に変わる。破滅はいつしか創造に変わる。いや、そう思わないとやってられない。