
”クズを入力すると、クズが出力される”
この言葉は、主人公ジム・ブロディの親友でロス市警の警部補であるフランク・レンナの言葉である。
この言葉が何を意味するか?は、576頁にも及ぶ分厚いハードボイルド、いや超巨編ミステリーを読んで理解して頂く他ない。
結局、悪と闇いう大きな権力は僅か一人の白人によってあっさりと崩れ落ちる訳だが、そこに到達するまでに、どれ程の犠牲と試練と危険と、そして裏切りと陰謀が待ち構えてただろうか。
(少し大袈裟だが)正直、読んでて生きた心地がしなかった。
レイモンド・チャンドラー作品を多数読んでた私には、ハードボイルドという事で少しナメた部分があったのも確かである。
勿論、フィクションだから、最悪の展開はないだろうと高を括ってたのも事実だが、フィクションを超えた恐怖が私の全てを取り囲んでいた。まさに、著者であるバリー・ランセットの世界に完全に翻弄され、打ちのめされてたのである。
そして同じ様に、主人公のブロディも次々と襲ってくる闇の権力に心と身体が折れそうになる。
まるで、僅か一匹の孤高のユキヒョウが百獣の王ライオンの群れに立ち向かうかの如くの展開に、フィリップ・マーロウばりの颯爽とした佇まいと人間ドラマ的な雰囲気は殆ど存在しい。
そこに存在するのは、完璧なまでに注意深く研ぎ澄まされたブロディ探偵事務所らの面々と、彼らの命を狙う冷酷な暗殺部隊と忍者の如く訓練されたエキスパート軍団を率いる、戦時の残忍で狡猾な憲兵隊にも似た、ある村落の一族の歴史である。
彼らは世界中の一線級の権力家に脅しを掛け続ける。これまた”権力で権力を洗う”闇の権力組織でもある。
(権力の)王に君臨する者もいれば、その”王を壊す”者もいる。つまり、権力と権力がぶつかり合う世界の真っ只中にブロディは位置するのだ。
現実を超越したハードボイルド
あまり書くと、ネタバレに繋がるから、ここら辺で留めてはおくが、著者は長く日本にいて、本作と同様に奥さんも日本人である。日本の講談社インターナショナルに25年ほど勤めてたと言うから、親日家の彼は日本とその文化や歴史にはとても詳しい。
そんな著者だが、しばし神話化される日本の文化を誤解なく伝える為の探偵ミステリーと言っても過言ではない。できるだけ過去の歴史に実在したパーツを用いて、説得力を深く読者の心に浸透させる。
故に、本作は日本発のアメリカが生んだミステリー巨編とも言える。特に、日本人には見られない独創性と奇抜なアイデアと創意工夫は、我ら日本人が大いに学ぶ所でもある。
但し、著者のデヴュー作なせいか、序盤の数十ページは少し堅苦しくも思えた。しかしそれを超えたら、著者が描く恐怖のどん底に真っ逆さまに突き落とされる。
設定では、主人公のブロディは17歳まで東京で育ち、サンフランシスコで古美術店を営み、日本では亡父の興した調査セキュリティ探偵社の後継者でもある。強くて、高度な知性と教養があり、そして優しい。
これぞハードボイルドの典型だが、身長183cm、86kgのアイルランド系アメリカ人は空手とテコンドーと柔道は一級の腕前で、マーロウと似てなくもないが、ついつい比較してしまう。
そういう意味では、探偵モノやハードボイルド小説が初めてという人にも、うってつけの小説かもしれない。
事実、著者が描く物語は現実を遥かに超越し、虚構の世界そのものを映し出す。が、どこかで見たような懐かしい異世界でもある。
お陰で、我ら読者はブロディの背中に隠れ、著者が描く権力と権力が対峙する不可思議な世界を恐々と覗き込む事になる。
因みに、日本を裏から操る闇の一族の暗殺部隊がまるで(アメリカ人が好む)忍者の様に鍛え上げられてる様は、とてもユニークにも思えたが、同時に日常なかなかお目にかかれない純朴な恐怖に慄(おのの)いてしまう。
それに、一族と対峙する通信業界大手の首領の存在がソフバンの孫正義とダブる所もコミカルに思えた。
一方で(とても興味深いのだが)、著者が描いた(某村落の)闇一族については、”過去にはその地域に出自の様々な暗殺者たちの秘密のグループが住んでた事もある”と実体験を通じ、あとがきで説明してはいる。が、ブロディが本作中で何度も口にする短歌の作者が太田垣蓮月(1791-1875)で、”伊賀上野”の城代家老の娘だという事を知ってれば、言いたい事はある程度は予想できる。
また、影の権力ブローカーの存在は近い過去には存在していたし、現代でも、ある程度までは存在しているとも、滅びつつあるともされる。が結局は、権力の振る舞いが変わる事はない。
それと、本作中に戦時の”憲兵隊”という秘密警察組織の存在が紹介されてたが、この組織は数え切れないほどの残虐行為を行ったとされる。こうした戦時に実際に起きたリアルな描写も、我ら読者を恐怖のどん底に突き落とすに十分な説得力をもたらしている。
最後に
欧米に比べ、日本でのジャーナリストの活動は厳しく制限されている。そういう意味でも、本作はジャーナルとしてみても、非常に深淵で新鮮に映った。
最後に、”出世したけりゃ働くな”とは、ある日本人情報提供者の言葉である。つまり、何かのきっかけを作る仕事を避けてさえいれば、後で何らかの責任を問われる事はない。
これは日本流の”時間引き伸ばし”術だが、日本では物事が最短距離で直線的に進む事はないし、その理由が説明なく終わる事も珍しくはない。
自身のキャリアを守りたい公人が揃って保身に走る。善行が期待される国(だが称揚されない国)にては、何か失態をしでかせば、すぐさま敵に噛みつかれる。
つまり、”出世したけりゃ働くな”である。
この言葉の真意も、本作を読む事で十全に理解できるだろう。
さあ貴方も、ジム・ブロディと共に、常に背中を狙われる戦慄と驚嘆の体験をしてみようじゃないか・・・それも576頁にも及ぶロングランの恐怖を・・・