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”ピラミッドの謎”と古代エジプトの数学(前半)〜現代数学を超えた古代数学の神秘

 

「数学史~数学5000年の歩み」(中村滋,室井和男著、2014年)の第2章「古代オリエントの数学」では、”今から100年程前には一般に数学は古代ギリシャで生まれ、インドとイスラム文化の影響を受けつつも、ヨーロッパ文化の中で成長してきたと信じられていた。当時は古代ギリシャ以前の数学として、古代エジプトの数学が<実用数学>として簡単に紹介されるに過ぎなかったのだ。しかし、1930年頃に古代バビロニア数学の発見と解明により、実用性を超えた古代数学の存在が明らかになった”とある。

 因みに、時系列で言えば、古代エジプトで7種類の数字(神聖文字=ヒエログリフ)が使われる様になったのが紀元前3200年頃で、その200年程後には神官文字(ヒエラティック)が使われる様になり、数字の種類が増えたとされる。この同時期にメソポタミア(後の古代バビロニア)では楔形文字が使われ、2種類の数字を使っていたとされる。その後、紀元前2500年頃には、古代エジプトのクフ王の大ピラミッドが建設され、ピラミッドの建設は紀元前1800年まで続いた。
 紀元前1800年頃になると、古代バビロニアで「三平方の定理」(=√の近似値の計算法)の証拠となる粘土版(プリンプトン322)が発見され、50年後には連立方程式や2次方程式を含むバビロニアの数学体系が完成し、粘土板が大量に作られる。その後、紀元前1600年頃には中国の殷王朝で甲骨文字が誕生し、13種類の数が作られ、同1050年頃には古代ギリシャでアルファベット(ギリシャ文字)が誕生し、同8世紀にはギリシャ文字が数字として使われ、27種類の数字が誕生した。
 以降、古代ギリシャ数学が全盛を極め、タレス(前625~547年頃)やピタゴラス(前569~500年頃)、プラトン(前427~347年頃)やアリストテレス(前380~322年頃)やユークリッド(前330~275年頃)らの偉大な数学者や哲学者を生んだ。その後、ギリシャ数学は中国にも伝わり、始皇帝(秦王朝)は前213年に、焚書対策として数学書を焼き払ったが、前200年頃には「周髀算経」や「九章算術」が書かれた。
 以上、「世界を変えた数学史図鑑」(Fukusuke著、2024)を参考に簡素に纏めました。

 こうして時系列で数学史を眺めると、古代オリエントの数学が古代ギリシャ数学の基盤となり、現代数学へと飛躍した事が読み取れる。特に古代ギリシャ時代の大ピラミッドの建設は、その規模と大きさからして高度な建設技術と実用数学の存在を示唆するものである。
 例えば、ピラミッドを作るに必要な石の個数やその運搬に必要な労働者の数などは前もって何らかの計算がなされたと考えられる。事実、新王国時代(前1550~1070年)の文書には、書紀が兵士の食料の計算や傾斜路の建設に必要な煉瓦の個数を問う場面が出てくる。
 また、古代エジプトの数学はナイル河に多くを依存する文明の官僚組織から生まれたとされ、当時の官僚(書紀)たちは土地の測量や物資の分配の計算に長ける必要があった。
 例えば、古代ギリシャの著名な歴史家ヘロドトス(前484~425年)は、幾何学の起源を毎年行われるナイル河の氾濫に関する土地の測量に求めたが、満更的外れではなかった。この”ナイルの賜物”であったエジプトの数学は同時代のバビロニアの数学と比べ、水準は低いものの、数学の起源と発達を我々に伝えてくれる重要な歴史と言える。


古代ピラミッドの謎、その1

 そこでよく話題に上るのが、古代エジプト時代に建てられたピラミッドは本当に人間の力だけでが作ったのか?王様の自己満足の為の事業として、莫大な税金が投入され、多くの奴隷がこき使われ・・・或いは、宇宙人が作ったのでは?と考える人もいるだろう。事実、前出のヘロドトスも”大ピラミッドは10万人の奴隷が20年間働いて造った、クフ王という残忍なファラオの墓である”と論じていた。
 これも後で検証するが、仮に1日12時間、365日で20年間の労働をし、石を200万個運んだとすると、2分30秒に1個のペースで数トンもの石を積む必要がある。しかも、積み上がるに従い、石を運ぶ位置は高くなり、最終的には100mを超えるのだが、こんな事が果たして可能なのか?
 例えば、メキシコのテオティワカン遺跡は紀元前2世紀~6世紀に発展した巨大都市の遺跡だが、この”太陽のピラミッド”は高さが65mで、ギザのピラミッドのおよそ半分だが、建設には150年掛かったとされる。が、それより前の時代に、倍の高さに建設されたピラミッドは数百年は掛かったと考えるのが普通だろう。

 但し、大林組は1978年に現代の技術でクフ王の大ピラミッドを建設した際の試算を公表したが、総工費1250億円、工期5年、最盛期の従業者人数3500人という数字を弾き出した。1m³当りの価格は、コンクリダムが約2万4000円前後に対し、ピラミッドは約4万8000円になるという。一方、考古学者のメンデルスゾーン(独)が提唱した様に、”ピラミッド建設は度々起こるナイル河の氾濫の度に農民を救済する為の土木事業だった”との説もあるが、証拠となる文献や記録などは存在しない。
 また、ピラミッドが何の為に作られたか?についても定説が無く、最も有名な”王墓説”も王家の墓が別に発見された事から、最近は否定される傾向にある。従って、先の”農民救済の公共事業説”の様に、物証を伴わない説は反証される事もないが、実証を伴わない仮説に留まる事が多い。故に、ピラミッド”王墓説”が浸透してはいるが、ピラミッドが葬礼と関連がある事だけは確実視されている。
 以下、「ピラミッドの謎(Cp1)」(Mathematica)から一部を参考に大まかに纏める事にする。

 しかし、今から 4500年ほど前に造られたとされるクフ王の大ピラミッドだが、底辺の長さ230m、高さ146.5m、重さ2.5tの巨石約230万個からなったとされるが、その建設には現代でも通用する数学の理論が結集してる事が判明しつつある。
 事実、大ピラミッドの底面の周長Cは、高さhを2倍したものと円周率πを掛けたものとなる(下図1)。勿論、我々は円周率が円周C’を直径(半径r×2)で割った値という事を学んでいる。
 これを式に直せば、π=C/2h=C’/2rとなるが、等式の形としては見事に一致する。だが、当時の古代エジプト人が円周率を知る筈も学んだ筈もない。
 そこで実際に測量すると、ピラミッドの底面の正方形の1辺は230.37mで、高さは146.6mだから、C/2h=230.37×4/(146.6×2)=3.142837653となり、、我々が知る円周率π=3.1415926⋯とほぼ一致する。
 この有名な「円周率の謎」だが、多くの専門家は”円周率が現れたのは偶然だ”と考えてる様だが、”何らかの原因で知らぬ間にπが紛れ込んだ”という説もある。全く、考古学者ってのは論理に弱いから始末に負えない。

 一方で、”何らかの原因”の1つに”長さを測るに一輪車を使った”説がある。
 確かに、ピラミッドの底辺の様な長い距離を測るには、ロープで測るより一輪車の方が楽に測れるし、例えば半径1mの車輪を1回転させれば、車輪が進む距離は2πmとなる。これは、非常に説得力ある説に思えるが、古代エジプトで車輪が使われ始めたのは、ずっと後の時代であり、計測に車輪が使われたという証拠は未だ発見されていない。がそれ以上に、もっと本質的な疑問は”なぜエジプト人はピラミッドをあの様な三角錐の形にしたのか”という事。
 つまり、エジプト人は”ピラミッドをその周長が、高さを半径とする円の円周となる様に設計していた”と考える事が出来る。
 また、多くの専門家が”エジプト人が円周率を知ってた筈がない”と考えるのには訳がある。例えば、<円周対直径>の比が円によらず一定である事を証明したのは、大ピラミッドの時代より2千年も後のギリシア数学だ。つまり、数学的に円周率との概念を得たのはギリシア時代になってからとなる。
 更に、円周率の近似値22/7を得たのは、ギリシアの大数学者アルキメデスである。従って、未開な古代エジプト数学で”円周率22/7が得られた筈がない”と誰もが思っていた。だが、21世紀になり、オリエントの数学(エジプト数学とバビロニア数学)が意外と進んでる事が明らかになる。但し、バビロニア数学は算術(60進法)や代数学や幾何学の面でも、エジプト数学よりも高い水準にあったが、その後衰退し、歴史上から姿を消す事となる。


古代ピラミッドの謎、その2

 第2の謎として有名なのが、”ピラミッドには<黄金比>が隠されている?”というのだ。
 そこでまず、φ=1.618033989 …という黄金率を考える。1:φの事を黄金比と呼ぶが、黄金比とは、1:1.618033989…と比の事である。つまり、黄金比の謎」とは”ピラミッドの底面積S1に対する側面積S2の比は黄金比φを満たす”事である。
 従って、S1:S2が黄金比となり、S1/S2=φ=1.618033989…が成立する。そこで、ピラミッドの高さをh、底面の正方形の1辺の長さを2a、頂点から底辺に垂直に下ろした線の長さをdとし、ピラミッドを2つに切断すると、切断面は底辺が2aで高さがhの2等辺三角形となる。従って、底面積S1=(2a)²、側面積S2=(2ad/2)×4=4adとなる(下図2)。
 そこで、ピラミッドに対し、黄金比の謎が成り立つのか?実際に確かめる事にする。まず、斜辺の長さd=√(a²+h²)となり、ピラミッドの底面の1辺の長さは2a=230.37mで、高さはh=146.6mより、d=√(115.185²+146.6²)=186.4380439となる。従って、S1/S2=4ad/4a²=da=186.4380439/115.185=1.618596553を得る。これをφ=1.618033…と比較すると、ほぼ一致する。
 つまり、黄金比の謎は成り立つのだ。だが、これも円周率の謎と同様に”偶然の一致”かもしれない。また、円周率πも黄金率φも無理数であるから、古代エジプト人がこの様な無理数を知ってる筈がない。但し、偶然でないとしたら、他に何か理由があるのだろうか・・

 更に、第3の謎として”地球の緯度が隠されている?”というものがある。
 ピラミッドを測ると様々な数値が現れるが、これらの数値に”天文学上の数値が隠されてる”というのが「天文学上の謎」で、これには諸説あるが、代表的なものとして”ピラミッドの底辺は地球の大きさを表す”との説を例に上げる。正確に言えば”大ピラミッドの底面の1辺を480倍したものが、地球の1緯度の長さになる”とある。
 実際に、地球の周長(360度)は約4万キロで、ピラミッドの底面の1辺の長さ2a=230.37mを使って計算すると、230.37m×480×360度=39807936m≒39808kmを得るが、この値はほぼ4万kmだ。しかし、”なぜ480倍なのか?”それに”古代エジプト人は円周が360度という角度の単位を使ってたのか?”などの疑問が湧く。
 それに、単位もメートルで、メートルは地球の周長を基準にして決められたものだ。だが、地球の周長を最初に測ったのは、エジプトのアレクサンドリアにいたギリシア人のエラトステネス(前275-前194年)であるから、満更関係がない訳でもない。
 一方、ヨーロッパでは古くから古代ギリシア時代に作られた地中海周辺の古地図が伝わっていた。この古地図には緯度と経度が書かれ、”ピラミッドの底辺の長さと地球の大きさ”と何か関係がありそうだが、実際に”大ピラミッドは尺度の基準を不朽のものにする為に造られた”との伝承も存在する。
 つまり、この第3の謎は大ピラミッドが何らかの尺度の基準であったか?又は地図上の基準であったのでは?という事を、我々に想起させてくれる。


最後に

 ピラミッドの謎については、上述した3つの他に”建築・土木工事の謎”がある。これは、あの巨大な建造物を古代エジプト人が本当に造る事ができたのか?もしできたとするならば、どの様にして造ったのか?という謎だ。
 一般には、これが一番よく取り上げられ、歴史の専門家が検討を重ねているが、古代エジプト人でも可能だとの結論らしい。
 だが、円周率と黄金比の謎については、古代エジプト人が円周率や黄金率を知ってて、地球の周長を計測したという説は(多分)ない。
 従って、考えられるのは次の2つで、1つはエジプト人が(彼ら以外の)高度な知能をもつ人(または神)から教えてもらったとの説で、エジプト人以外の高度な知能とは、”神の啓示””超古代文明””地球外生命”と3つある。近世までは”神の啓示説”が一番有力だったが、現代ではその代りに”宇宙人から教わった”説が浮上してきた。2つ目は”超古代文明説”で、今から1万年以上も前に進んだ文明が栄えていたとの説だが、これも古くから根強いものがある。
 一方、歴史の専門家(考古学者や数学史の学者)は、この様な都市伝説の類は採らず、全くの偶然か?知らず内にπやφが紛れ込んだ?との説に分かれる。
 これら4つの謎に関しては、次回以降で深く切り込んで検証する事にする。

 因みに、今回参考にしたMathematicaのコラムでは、「ピラミッドの謎」を5つものChapter(23Episode)にわけて、厳密な考察がなされている。勿論、全てを十全に紹介できる筈もないが、できるだけ簡単明瞭に紹介するつもりである。
 ただ、数学史家・高瀬正仁氏風に言えば、古代オリエントの数学を学ばずして、誰が現代数学を理解し得ようか?日本は近代の西洋数学を学び始めてから1世紀半程の年月が経つが、古代エジプトのピラミッドの謎は現代にも通用する実用数学の起源を示唆してる様に思えるのだ。
 少なくとも、ピラミッドが裸の王様のお墓であったという結末にならない事を望むばかりである。