「政治家は経済学者の上に・・」に寄せられたコメントに”金融システムが崩壊したら、経済学もリフレ派も存在しなくなる”とあった。
ブラックマンデー(1987)とITバブル(2000)を見事に予見してボロ儲けしたニコラス・ダレブだが、彼は身銭を切る事で大成功を収めたヘッジファウンダーである。
因みに、巷には”天才”とか”神様”とか呼ばれる予見者が数多く存在するが、この2つを予見できた人はタレブ氏以外には存在しない様に思える。事実、「根拠なき熱狂」の著者のロバート・シラーはITバブルを警告したが、予見したとはいい難い。但し、この投機バブルを予告した本がベストセラーになり、シラー氏はノーベル経済学賞を受賞するが、”根拠なき”のヒントには、96年末に警告したグリーンスパン元FRB議長の言葉があった。つまり、予見者としては彼の方が的確かもしれない。
但し、全米を熱狂させた投機バブルだけでなく、世界規模の株価下落であるブラックマンデーの2つを予見した人は、タレブ氏以外に(勉強不足かもだが)私の記憶にはない。
一方で、“経済学の巨人”と称された故J.K.ガルブレイスも”成功した投資家は忍耐力と知性と道徳的に優れる傾向にある”と語ってるが、その前に”身銭を切り、リスクを背負う”勇気と覚悟を評価すべきであろう。
他方で、タレブは金融システムが崩壊する事を誰よりも恐れている。つまり、これまで苦労して投資した身銭が一瞬にしてパーになるからだ。事実、タレブが”カオスの帝王”から陥落するのは金融システムが崩壊する時だと見ている。勿論、こんな予想は当たって欲しくないのだが・・
タレブは更に、リーマンショックを起点とした世界金融危機(2007~8)でも事前に口酸っぱく警告し、自身のヘッジファンド会社に大きな利益をもたらした。勿論、金融崩壊に比べれば、”コロナ危機(2020~)なんて十分に予測可能なホワイトスワンだ”と言うのも理解できる。
リスクを取り、自腹を切れ
そんなタレブ氏だが、「ブラックスワン」の大ヒットで有名な文筆家でもあり、”偶然の脆弱さ”を研究する大学教授だが、本職はリスク(オプション)トレーダーで、その経験を通じて、運・不確実性・確率・反脆弱性を語る。事実、本書でタレブは身銭を切らない、自らリスクをとらず科学主義的権威や理論をふりかざす研究者や大学教授をこき下ろす。つまり、上辺だけの浅薄な知識人や研究者たちとは一緒にするなって事だ。
タレブは自著「身銭を切れ」で、人生とリスクについての原理原則を書き尽くすが、”魂を捧げた先にしか、価値ある生はない。リスクを生きる人だけにしか、人生の本質は理解できない”と論破する。
不確実性が増し、変化の速度が上がった現代社会にて、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとったVUCA(ブーカ)という言葉も、今や定着しつつある。
では、不確実で予測不可能な世界でどうリスクと向き合って生きていくべきか?
これこそが本書でタレブが取り組んだテーマだが、原題は「Skin in the Game」で本来は金融用語で”目標達成の為に自腹を切り、自ら金銭的リスクを負う”事を意味する。
”この言葉の意味は、単なる金銭的な利益の分配の話ではなく対称性の問題だ。つまり、損害の一部を背負い、<うまくいかなかった場合に相応のペナルティを支払う>”という話だ。
”身銭を切る”とはこうした概念であり、厳しい見方をすれば、発言する人は行動で示すべきであり、行動する人のみ発言を許されるべきである。例えば、警官や兵士などが尊敬を集めるのは、信念の為に自らの命を捧げてる(身銭を切ってる)からであり、政治家や経済学者が無能だとバカにされるのは、自分では何のリスクも冒さない(身銭を切らない)からである。
残念ながら現実は後者の輩、即ちリスクをとらずにリターンをとる(リスクは別の人間に押し付ける)自称“知識人"が跋扈し、非対称性が生まれる。この非対称性こそが、やがて格差やフェイクニュースやテロなどの世界を悩ませる問題を生み、最後にはシステムの崩壊へと繋る。
故に、身銭を切るとは不確実性の世界を正しく見通し、歩んでいく僅かに1つの原理原則であり、混迷の時代を生きる我々へと手渡された人生の指針となり得る。
確かに、物事には対称性があり、その世界ではGive&Takeやトレードオフなどの言葉がある。また、身銭とはお金ではなくリスク・時間・トレードオフの観点で見つめる必要がある。例えば、保険屋やコンサルタントなどは高い報酬を得ながらも責任を負わない。つまり、これはTakerであり、何も身銭を切らないから信用できない。
事実、昔の大工たちは家が壊れたら責任を負った。故に、この様な対称性がある商売や人などは信用に値する。つまり、何時の時代も何事においても、”責任と結果”という対称性が必要なのである。
リスクと対称性
タレブ氏は本書において2つの重要なテーマを論じるが、1つ目は公平・公正・責任・相互性といった”対称性の問題”で、即ちエージェンシー問題である。例えば、企業経営者などリスクをとらない人は無責任で、報酬を期待するならリスクをひきうけるべきだ。また、アドバイスが間違った場合の罰則が存在しない限り、アドバイザーの助言は真に受けるべきではない。
一方、商取引上での情報共有でも、(例えば)中古車セールスマンは商品の事実を公開すべきで、不確実性が存在するにも拘らず、顧客に伝えずに、ブラックスワンが訪れたら顧客は大損するが、金融関係者は手数料を返す事なく生き伸びる。
2つ目は、複雑性が渦巻く実世界における”合理性の問題”で、それは軽薄なジャーナリストや心理学者から得るものではなく、時代と時こそが危いものを排除し、頑健なものだけが生き延びる。例えば、昔ながらの知恵の様に地に足をつける事で得た知識は、科学的推論を通じて得られる知識よりもずっと優れる。
タレブが指摘する身銭を切らない人とは、干渉屋、建てた家に住まない建築家、一般読者とのギャップがすぎる書評屋、貴方の為だと言い寄る示談屋、自分を公開しないファイナンシャラー、専門知的バカ、稼ぎのいいコンサルタント・・などが並ぶ。
元々、一匹オオカミ系の(ある意味)金融の捕食者でもあるタレブにとって、組織とは一定の自由を奪う集団捕食者であり、その雇用主は信頼を金で買い、企業マンは従順である事で身銭を切る。
但し、従業員とは市場よりも雇用主にとって価値がある歯車で、その奴隷の最たる存在が高い報酬で首に鎖を繋ぎ止められた海外駐在員だ。つまり、本社からは遠く離れ、自律的に働き、その地位を離すまいと必死だ。だがタレブは”自由はタダではないし、奴隷には大きなダウンサイドリスクがあり、飼い主に見捨てられた従者は2度とは立ち直れない。また、組織の上司による質的な<勤務査定>に生き残りを託す人々は重要な決断では当てにならないし、組織の中で奴隷で無いのは営業担当者とトレーダーのみだ”と喝破する。
一方で知識とは、自らの体験や試行錯誤に基づいて得られるもので、特に重要な事は試行錯誤する過程において本人がリスクを負い、知らず内に身銭を切ってる事だ。勿論、身銭を切る事で負の影響を被るかもだが、学び新たな発見をする事で得る知識は(学者や博士らの知ったか振りな)推論で得られる理論よりもずっと信頼性が厚い。
勿論、身銭を切らないのは学者だけではなく、政治家や権力者らも身銭を切らない。例えば、アメリカは”独裁者を排除する”と大義名分を掲げ、様々な手段を講じてきたが、その結果はテロ組織の誕生や戦争など多くの惨事を招いただけだ。
タレブは、自分の範疇の外にある者に対して悪い影響を与える人々を”干渉屋”と呼ぶが、彼らは”動ではなく静、高次元ではなく低次元、相互作用ではなく行為という観点”で物事を捉える傾向にあると指摘する。自分の行動による2次3次的影響を考えず、いざ想定外の事態が起きると”ブラックスワンだ”と騒ぐ。
干渉屋の欠点は、何の損失も被らない事にあり、空調の効いたオフィスで意思決定を行い、それが間違ってたとしても損害を被らない。つまり、ツケを払わされるのは決まって罪のない弱者だ。ここで得られる教訓は”リスクを負わぬ者は意思決定に関わるな”である。
最後に
確かに、神様はサイコロを投げる。
但し、そのサイコロには偏りが存在する。
つまり、偶然にも偏りという名の脆弱性が存在するが故に、身銭の切り方次第ではリスクは(タレブが遭遇した様な)千載一遇の一括千金的な幸運のブラックスワンにもなり得る。
これこそが本書におけるタレブ氏の本意である。過ぎた言い方をすれば、身銭を切る事なくリスクを覚悟しない生き方は、軽蔑にも値しないという事になろうか。
勿論、生きる事自体がリスクそのものであり、身銭を切るに他ならないから、真に生きるとは身銭を切る事と同義とも言える。
事実、身銭を切るという概念は対称性の問題であり、身銭を切らない場合にはリスクの非対称性が生じる。
既述の様に、エージェンシー問題や少数決原理など、リスクの非対称性は現代社会の至る所に潜んでいる。つまり、生きるとは(対称性であろうが非対称性であろうが)必然的にリスクを冒す事で、身銭を切らない限り、人生とは呼べない。但し、その対称性が崩れた時、ブラックスワンは人類に毒牙を剥くが、これは歴史が証明してる事でもある。
この様に言い切れるタレブの覚悟も”身銭を切る”事の証拠でもあろうが、自分がやった事に責任を持つという対称性のあるリスクを背負う事は人類の宿命の様に思えてくるから不思議である。
アメリカ寄りの台湾有事発言で物議を醸し、就任早々崖っぷちに立たされた感のある高市総理も、リスクには対称性があり、偶然には脆弱性がある事をタレブ氏から学ぶべきだった。少なくとも、安倍の劣化コピーのままでは罷免か、よくて失職である。
韓国の尹元大統領の様に、苦学だけで身銭を切らぬ人種の人生は崩壊と失墜で終わる。
つまり、国家の主(総理)となる事はそれだけのリスクを背負う事であり、そのリスクに見合う身銭を切る事でもある。その勇気と覚悟と知覚がなければ、軽蔑に値しない裸の王様にすらなり得ない。
高市総理よ今こそ、自腹を切り、自身が撒き散らしたリスクに真正面から向き合うべきだろう。でないと、太平洋戦争の二の舞になる可能性は高い。
因みに、キューバ危機を回避させた1冊の本として有名なのが「八月の砲声」(2004年、B.タックマン著)で、当時の米大統領J.F.ケネディは、意図せざる連鎖反応と誤解によって拡大した第一次世界大戦の開戦経緯を描いたこの歴史書から、ソ連との核戦争を避けるには対話と外交で偶発的な衝突を防ぐ事を学んだ。
つまり、情報の混乱や指導者たちの誤算と過信。予測不能の情況の中で自民政府が用意した既定方針だけが着々と実行され、日本は戦争の泥沼に沈んでいく。
「八月の砲声」と「身銭を切れ」は、今の高市総理が読むべき2冊である事は言うまでもない。
