
田舎では、葬儀をすると一週間くらいはお祭り騒ぎになる。自宅には野次馬を含め、様々な脊椎反射系親父が、酒や食事目当てでやってくる。お陰で、財産が葬儀でなくなるっていう笑うに笑えない話がある。
うちの田舎もそれに近いものがある。
仮通夜に本通夜、そして本葬式。まず3日間は葬儀で缶詰にさせられた記憶がある。それに1週間後には初7日が待ってる。
つまり、1週間は人の不幸をネタにして、呑んで食っての大騒ぎ?ができるって訳だ。
そこには、亡くなった人間を弔うという意識や人の死の尊厳は、これっぽちもない様に思える。
死んで火葬され、お骨のみになった先人たちは、”うるせーぞ、この野次馬野郎!死んだ奴の悪口を言うなら、他の場所でやれ”って怒鳴りつけたいだろうか?
いやそれとも、”今日は大げさにバカ騒ぎしてくれて有難う。49日も一周忌もぜひ来てくれよな”って感謝の意を述べるのだろうか?
香典という名の粗大ごみ
悲しいかな、貧乏の歴史が長かった島国の農耕族は、如何に葬式で損をしないか?如何に葬式で利益を出すか?
故に、香典返しで如何にケチるか?こそが、葬儀での最需要課題なのだ。
然るに、引き出物はタオルや器やトレーなどの安価で嵩張り過ぎるガラクタになる。しかし、このガラクタが後々になってボディーブローの様に効いてくる。
田舎では都会の様に、隣人関係はドライではない。隣組の冠婚葬祭には、必ず出席義務がある。万が一出席しなければ、”村八分”にされる。
それに当り前だが、出席するには”手ぶら”では行けない。つまり、香典が必要なのだ。勿論、香典があれば香典返しがある。
”香典って必要なの?”や”法事って必要なの?”でも書いたが、ここまで来ると慣習というより強迫観念にも近い。
習慣がいつの間にか慣習に変わり、そのうち強迫観念になり、知らぬ間に脅迫そのものになる。
お坊さんに包むお布施も、単なる”気持ち”から時代が裕福になると共に相場という名の”時価”に変わる。
因みに、葬儀でのお布施の相場は、10万(火葬のみ)から100万(一般)とピンキリである。
まるで、中世ヨーロッパ時代の(教会への)”1/10税”で苦しめられた農民を思い出させるが、そう考えるだけで、農耕族とは悍しくも条件反射系の哀れな生き物だという事がよく理解できる。
遺族にとっては、(悲しい)1週間のお祭りの後は、遺族達が一軒一軒まわり、ご丁寧に挨拶をし、引き出物を渡して回る。全くお目出度い事だが、ここまでやっても懲りない日本人は、やっぱり偉いのか?
しかし、こうした”笑うに笑えない”イベントが繰り返されるにも関わらず、冠婚葬祭ビジネスは今や急成長し、日本列島を覆い尽くす。
そう、いくら借金しようがいくらお金が掛かろうが、日本人は冠婚葬祭そのものが大好きなんだ。
ガラクタが減らない
話は変わり、とにかくガラクタが減らない。
10tトラック3台分のガラクタや粗大ゴミは処分しただろうか。それでも減らない。探せば探すほど増えるのが粗大ゴミである。
今の私は断捨離の真っ只中だ。いや断捨離奮闘中と言った方がいい。
日本の高度成長期には、モノを狂った様に作った。バブル期も海外に工場を作り、モノを狂った様に作り捲り、日本人も狂った様にモノを買いまくり、消費した。
耐久消費財とはよく言ったもんで、耐久消費財は胃袋や腸で消化される筈もなく、耐久粗大ゴミとして、再び屋敷を覆うようになる。
人間の物欲はそのまま粗大ゴミと変異し、再び人間を襲う。”断捨離”とは聞こえはいいが、モノを処分するという行為は欲望を断ち切る以上に、非常にタフな行為である事が身に沁みた。
まるでゾンビのように次から次へと湧き出る粗大ゴミを処分していく。どんなに処分しても次から次へとゾンビの様に湧いてくる。
我が家は、小屋の一階が車庫兼物置になってるので、助かってはいるが。狭い一軒家だったら、コンテナ倉庫を3つほど借りる必要があったろうか。
冠婚葬祭と粗大ごみ
人がモノを作ろうとする製造欲と、モノを買おうとする物欲は全く同じと言っていい。女を買おうとする性欲と排泄欲が同じなのと同じ理屈だろう。
つまり、大衆は排泄するかの様にモノを作り出し、買い漁る。
民主主義や資本主義や自由主義とは聞こえはいいが、結局は、物欲と排泄欲というガラクタ排出主義の様に思えてならない。
これら粗大ゴミの中でも特に目立つのが、冠婚葬祭の引き出物だ。
見るからに安物とも思える鍋に陶器に漆器類。それに、やけに嵩張るタオルに毛布。その上、それら粗大ゴミをを覆うド派手な分厚いパッケージ。まるで香典返しを無理矢理正当化するようなインパクトがある。
因みに御香典の相場は、故人が両親の時は10万、兄弟姉妹の時3〜5万、叔父叔母1〜2万、その他親類1万、職場や隣組や友人が5千円との事らしい。
私は、先月の叔母の葬儀には5千円しか包まなかった。それもお袋が脳梗塞で入院してた時のお返しをせず、そのまま返しただけだ。お陰で、初七日の誘いも香典返しもなかった。
全く予想通りの展開となった訳だが、香典返しを殲滅するには香典そのものを潰すしかない。やがて、5千円が千円になり、百円になれば、香典も香典返しも確実に消滅するのだろうか。
そういう所から、地道に冠婚葬祭の規模を収束させる他ないのだろうか。
しかし、そんな努力をしなくとも、コロナの影響で冠婚葬祭の規模が小さくなりつつあるという。
日本に冠婚葬祭が存在しなければ、いや冠婚葬祭の規模が小さく質素であったならば、我が家の粗大ゴミの半分は削減出来たであろうか。
CO2削減も地球環境保護の最重要課題だが、冠婚葬祭時の香典も引き出物も、それ以上に重要な削減事項だと思う。
核兵器の削減も平和国家を目指す日本としては重要だが、冠婚葬祭時の型にはまった儀式の殲滅こそが、日本の日本人の為に行う最重要課題だと思う。
そう思う私は、日本人として考え方がおかしいのだろうか?
いや、一生に一度の大イベントだから、冠婚葬祭は大げさに振る舞うべきなのだろうか?