イイねや香典や、そして善意やおもてなしを異常なまでに嫌う私だが、この詩には(全身に電気が走ったかの如く)”なるほど”と感じた。
この言葉は、あるFacebookからの転載である。一昔前のネット上には、こうした質の高いコミュニティが存在してたのだと思うと、自分の無知さに反吐が出る。
以下、KACKEYBIGTREEさんのコラムより抜粋です。2014年と少し古いですが、とてもいい詩だと思います。
頑張った成果は偽モノである
選ばれるため
喜ばれるために
昔は頑張ってきた。
仕事もプライベートも
お客さんのため
誰かのため
選ばれるため
嫌われないために
そして、
みんなが自分から離れていかない為に。
そんな"媚びた気持ち"で
仕事をしていた。
そんな"選ばれない自分”だから
”選ばれる自分”になる為に必死でがんばっていた。
その為には
無理をして、犠牲を強いて
楽しくないことも・・・
言ってられない
そんな自分の都合を言えば
嫌われるし
見離されるし
選んではもらえない
”お客さんの事をまず考えなさい”
”お客さんの立場に立って”
という言葉も
この様に恐怖から来る。
媚びと犠牲から発すると
”恐怖を伴う結果”になる。
つまり”もう止められない”
そう
”がんばって手にしたもの”は
”がんばるのをやめると失う”から
”がんばり続ける”しか
選択肢はなくなる。
そんな自己犠牲のもとに
手に入れた幸せは
ただの”苦しい幸せ”である。
自分の幸せが
”相手が喜ぶかどうか”
という基準においてしまうと
ただただ苦しくなるだけである。
そんなものは
ニセモノの幸せに過ぎない。
”お客さんのことを考える”
というのは
”第二の目を持つ”ということ
そして
”第三の目”つまり”俯瞰の目”(多様な視点)を持つということ
そして、その目を持ったうえで
自分がやりたい事だけをやり続ける
自分の事だけを考える
という事こそが
自分の幸せになり、
結果として
相手の幸せになる。
自己犠牲の上に成り立つ
相手の幸せは所詮、ニセモノである。
本当の意味で
お客さんの目線に立つのなら
無料と奉仕の二つしかない。
勿論、そんな事は出来っこない
でも、ちょっとは自分の利益も欲しい。
そんな中途半端な気持ちが
苦しみの商売
広がらない商売
ばりぼての商売
(食う為だけの)労働を作り出す。
お金は労働の対価
という考え方から
早く抜け出さない限り
一生死ぬほど働くしかない。
”もっとがんばれ”
”お客さんのために頑張れ”
なんて事が
通用する時代はもう終わった。
そんな
自分を下にする仕事はしてはいけない。
対等の関係の取引なのだから
・・・・
そこに
お金を”いただく”のではなく
”循環”が始まる。
仕事がうまく行かない時は
その循環が止まったとき
”おめー、ホントは自分の価値を下げて提供しておるやろ”と
自分に言い聞かせてみる。
ホントの自分は
そんなサインを送ってる筈だ。
最後に〜少しは自分を愛したら?
本当はこの記事を書く前に、”自己愛”についての記事を紹介しようと思った。
しかし、自己愛に関しては少し複雑で抽象的な論調が必要なので、序章として読んでいけたらと思う。
因みに、今回紹介したKACKEYBIGTREEさんは自己愛に関しても、とても的確な論調を持っておられます。改めて、自己愛の大切さと(それを理解する)難しさを教えられた気がします。
(私は)頑張れば必ず結果が出ると信じてきた。人を愛すれば、少なからずその愛は返ってくると思っていた。
誰かの為に身を粉にすれば、誰かが気付いてくれると。たとえ気付いてくれなくとも、神様いやお天道様は見てくれてると、盲信に近い信念を持っていた。
しかし、結果は見事に裏切られた。
昔、付き合ってた彼女に言われた事を思い出す。
”少しは自分を愛したら?”
確かに、私は自分を愛した事があるのだろうか?
頑張る事だけを愛し、ひたすら悲運な境遇から抜け出す事だけを愛してたのではないか。
まるで金メダルだけを追い求める飢えたハイエナみたいに・・・
そして、その結果が絶望という名の破滅だとしたら?
若い頃、もっと自分を愛してたら?いや、少しでも自分を愛してたら?
そこには、今とは違う自分が存在したかもしれない。いや或いは、今よりも酷い境遇に陥ってたかもしれない。
単様な視点で自分を愛する事はバカでも出来る。しかし上の詩にもある様に、多様な視点で自分を愛する事は簡単そうで単純でもない(多分)。
自己愛も1つ間違えれば、ナルシシズムに走り、エゴイストに変貌し、最悪はサイコパスにいや、(後天的サイコパスとされる)ソシオパス成り下がるのだろうか。
いい人ほど過剰なまでに頑張り、また頑張る人ほどその(頑張る事の)犠牲になり、最後には不可解な犯罪に手を染める事も少なくない。
私も頑張り続けたままでいたら、自分が死ぬか?人を殺すか?最悪、そういう状況に陥ってたかもしれない(多分)。
私はある時から、頑張る事をやめた。というより、頑張る事と距離を置く様になった。
そして、頑張るだけのいい人が嫌になった。むしろ、頑張らないエエ加減な人?に不思議な魅力を感じる様になった。
どんないい人でも尊敬に値する偉人でも、犯罪や悪事に手を染めれば、悪い人以下に成り下がる。
頑張るのをやめる事で、”循環”という利益が手に入るのなら、私は躊躇なくそっちを選ぶ。
結局、人生は楽をした奴が最後には勝つのだろうか?
”苦あれば苦あり、楽あれば楽あり”とは、私に対する格言なのかも知れない。