
本書は、村上春樹が32歳の頃の初めての翻訳書であり、フィッツジェラルドの簡単な足跡を含んだエッセイと村上氏が訳した6篇の短編が収められている。
因みに、和訳の初版(旧版)は1981年に刊行され、2006年に新書が再刊された際、大幅に改訳され、「哀しみの孔雀」の別エンディングの翻訳が収録されたというから、私が読んだのは古い方である。
今回は6篇のうち、「氷の宮殿」と「アルコールの中で」を除く4篇を簡単に紹介する。
最初の「残り火」と「氷の宮殿」は、1920年のフィッツジェラルドがデビューの年に書かれた短編であるが、明らかにゼルダの存在が色濃く映し出されている。本書の原文を少し拝見した事があったが、高校程度の英語力の私でも不思議と読みやすく感じた。デビュー作だから敢えて編集部に気を遣って書いたのだろうか、初々しく爽やかにも感じた。
故に、村上氏の翻訳デビューにしては格好の題材だったろう。
村上春樹の初々しさと勢いを感じる短編集
最初に「残り火」を持ってきたのは全くの正解だった。なんと美しきかな・・まさにきらびやかな宝石にも似た純愛物語の様相で、真実の愛とは”悲しみを見つめ続ける心であり、幻滅ではなく痛みそのもの”なのだ。
燃え尽きた"残り火"の中に微かな暖を求める祈りにも似た想い。”かつての彼を私は愛する事が出来ます。それ以外に何が出来るのですか”と言い切る程の崇高な愛。
フィッツジェラルドにはプロットも繊細さも必要ない。純粋に文才だけで勝負できる所が凄い。まるで、氷の剣で突き刺すような瑞々しくもあり、冷酷な描写はシンプルでありながら実に純朴で、読者を深く感傷の余韻に浸らせる。
次に「悲しみの孔雀」では、度重なる不遇に見舞われる親子を哀れな孔雀に喩え、最後の最後で”全く何を恐れればいいんだ。我々は神をも恐れぬ”と開き直る。悲しくもあり、逞しくもあり、微笑ましくもある親子の生き様を描く。村上氏がPoorを”哀しみ”と訳してる所も憎い。
但し、新版の別エンディングは”ハッピーエンド版”が見つかったとして、旧版の”非ハッピーエンド版” に加え、新たに”ハッピーエンド版”が掲載されてるとされるが、私としては”非ハッピーエンド”の方が心にズシンと響くし、村上氏が語る様に”この方が文学的価値はずっと高い”と思う。
実は、フィッツジェラルドが最初に書き上げた非ハッピーエンド版と、編集者からの要望でハッピーエンドに変更したバージョンがあったらしく、新板ではそれを追加したとなるが、フィッツジェラルドには悲しさや虚しさの方がずっと似合ってると思うが、ここら辺は好みの差なのかもしれない。
事実、「悲しみの孔雀」1935年に書かれたが、“Saturday Post“から掲載を断られ、著者の死後1971年に“エスクァイア“誌上で発表された(Wiki)。
「失われた3時間」は、この短編集の中では私の一番のお気に入りだが、実に皮肉な再会劇を描いた作品で、フィッツジェラルドならではのある種の乾いた残忍さが特徴である。
妻に先立たれた孤独な男プラントは恋憧れ続けた女性と20年振りに出会う。だが、当の彼女は彼を一目見て、これまた片思いの男性(パワーズ)と勘違いし、受け入れてしまう。
実は、彼は彼女に肘鉄を食らわせ出ていった、彼女が恋憧れて止まないドナルド・パワーズではなくて、ドナルド・プラントだったのだ。そんなこんなで旦那の留守中に、夫の浮気心を勘繰りながら独りウィスキーソーダを呑む美しき人妻の描写は実にファニーでエロチックでもある。
ほろ酔い加減の人妻が深夜の電話口で"ドナルド"と聞いた途端、彼女の頭の中は”パワーズ一色”になる。それほど彼女の彼に対する想いは強かった。しかし、目の前にいる男がパワーズではないと知らされた途端、ロマンチックな酔いは急速に醒め、冷酷にも彼を突き放つ。20年前と同様に、彼は再び肘鉄を食らわされるのだ。
この目の眩む僅か5分間に、彼は実に多くのものを失うのだが、”人生なんて結局は何もかも切り捨てていく為の長い道のりに過ぎない”と悟る。まさに、笑うに笑えない奇怪で残酷な最高のラブコメディーである。
最後に、「マイ・ロスト・シティー」を持ってきたのも実に心憎い。
「失われた三時間」と「アルコールの中で」と同様に大恐慌を描いた、フィッツジェラルドの凋落期に発表された作品で、陰鬱で少し微妙な所もあるが、村上氏は巧く訳していたと思う。
1929年のNYの大恐慌と自分自身の崩壊を見事に重ね合せ、ロマンチックにメランコリックに描いた、自伝的かつ自虐的作品でもある。
著者の”時代の申し子”としての成功物語は、そのまま彼の夢の崩壊へと導いていく。NYの思春期の眩いばかりの思い出は彼の夢でもあったのだ。失われた街を後にする、混乱し喪失した彼の心傷が実に深く伝わってくる。
フィッツジェラルドの”金持ちに対する憧れと憎悪、自己憐憫と自己客体視”が彼の天才的な文筆に更に磨きをかける。
彼の短編の中でも思い切りメランコリックだが、とても読み干し甲斐のある作品に仕上がっている。僅か30ページ足らずの超短編で、これ程までに読者を深く心酔させる彼の作品に、村上氏が没頭するのも当然である。
なお、新版「マイ・ロスト・シティー」では、最初の翻訳に村上氏自身が大幅に手を加え、”改訳と呼べる程まで変わってるのではないか”と語る様に、完成度では新板が上かもだが、勢いや初々しさは旧版に軍配が上がると感じた。
最後に〜入門書として最適
本書はS.フィッツジェラルドを読んだ事がない人にも最適だが、本書の原文も非常に読みやすいので、英語力に自身がある人は原書を読んだ方が本書の魅力は倍増するだろうか。
勿論、私には村上春樹の最初の翻訳で十分過ぎる程である。