
(昨年末の事だが)28年間酷使続けてきた井戸のポンプが逝かれてしまった。
ここ数年、モーターの音が次第に煩くなり、使ってもいないのに勝手にモーターが回り出したりと、もうそろそろ限界かなと思っていた。因みに、ポンプの寿命は10年とか20年とか言われるが、よくここまで頑張ってくれたと思う。
長い間、井戸水だけでやりくりしてたが、停電時にはポンプが使えない事や井戸水がマズくなった事もあり、15年ほど前(多分)に水道を引いた。
我が家の場合、配管は少し複雑で、古い家の炊事場の水と温水、それに庭先の水は井戸で、新しい家の炊事場と洗面所とお風呂場のお湯も井戸である。新しく引いた水道は新しい家の炊事場の水と洗面所の水とトイレの水を賄う。
つまり(本当はしてはいけない事だが)、井戸水と水道のハイブリッド、いや二刀流という事になる。
日本は”水とトイレが美しい”と言われる。
つまり、おいしい水がただで手に入る貴重な島国である。ポンプ設置の初期費用と電気代は掛かるが、我ら日本人は基本的には”水はタダ”であった。いや、それが当たり前でもあったのだ。
しかし、農薬やヒ素などで土壌が汚染され、井戸水までも汚染されると、多くの民家が井戸から水道水にシフトした。我が家も例外じゃなかったが、それでもここ数年は井戸水が水道水よりも美味しいと感じるようになっていた。
井戸水のポンプが既に寿命が来てたのは、その外観から容易に察しがついてはいた。金属製のカバーは腐食が進み、殆どが錆びつき、作動するのが不思議なほどだった。9月に雨漏りを修理してもらった時にポンプの検査もしてもらおうと思ってたが、頼みの業者も忙しそうだったし、それに余計な出費が嵩みそうでそのままにしておいた。
お湯の出ない生活
私は子どもの頃から、おいしい水と温かいお湯はタダだと思って生活してきた。事実、自然災害による停電時以外は、水とお湯に困る事はなかった。30年ほど前の事だが、2つの大きな台風が直撃し、停電が何日も続いた時、初めて水とお湯に不自由する生活が地獄である事を思い知らされた。
確かに、水道水でも飲めなくはない。井戸水に慣れ親しんでる私には、不味くなった井戸水よりも更に不味い。水道水のお風呂なんて想像しただけでも寒気がする。
そんな美味しい井戸水を提供し続けてくれたポンプ(モーター)だが、その動作音が目立つようになったのは、10年ほど前の事だったろうか。井戸水を使う度に大袈裟なウィーンという音が鳴り響いた。が、そうしたモーター音に慣れてしまったせいか、それが寿命の兆しとは思いもよらなかった。
今年の夏場に入り、井戸を使ってないのにモーターが勝手に回るという不具合がしばし目立つ様になり、困った事にその音が鳴り止まず、騒音として近所迷惑になろうとしていた。
全てには終わりが来る
私の好きな言葉だが、まるでポンプが”もう寿命だから天国に逝かせて”って叫んでるような気がした。
雨漏りの件でお世話になったリフォーム業者のMさんに相談して、ポンプ業者を紹介してもらう。
早速、ポンプ屋のYさんから電話があり、メーカーと型番を教えてくれというが、古すぎて確認すらできない。実際に来てもらい、調べてもらった所、このタイプの旧式ポンプは今では製造してないから、”新しいものと交換するしかない”と言われた。
Mさんからはポンプの値段を聞いてはいたが、ここに来ての14万弱の出費は痛い。というのも、まだ旧洋間の修復が終わっていないのだ。できるだけ経費を浮かせようと小屋にある廃材を使って試みてるが故に、なかなか作業が捗らない。それ以外にも、庭の剪定や屋根瓦の修復、小屋にある廃材の整理など、やる事は山ほど残っている。
お袋が他界して、古く広い家と敷地だけが残ったが、(敷地はともかく)旧家の方は懐かしい思い出が沢山詰まってはいるが、遺産にしては手間とコストが掛りすぎる。
強面のポンプ屋
だが不思議な事に、業者に新品のポンプの交換を申し込むと、それを聞いてたかの様に、古い井戸の不具合が治ったではないか。念の為に検査に来てもらい、以来10日ほどは調子が良かった。
しかし、(当り前だが)突然終わりが来た。ある日の夕方、突然モーターが派手な騒音を響かせ回り続けた。(いつもやる様に)1度電源を落とし、しばらくして再度電源を入れても井戸水は出ない。勿論、お湯も出ない。
ここ数日は庭の剪定作業などで疲れていた。風呂にも入らず、お酒を飲んでそのまま寝込んでしまってたから、今日こそは風呂に入ろうと思ってたのに・・・
早速、ポンプ業者のYさんに”ポンプが完全に逝かれました。ポンプの入荷は何時になりますか”とメールを入れる。事前の検査では”入荷は早くても1ヶ月後になる”と釘を刺されていた。
翌日、Yさんから電話があり、”新品の入荷が何時になるかわからない。中古なら状態の良い保証付きの奴が何とか確保できたので、それでよければ・・・”との事だ。
正直、新品でなくとも中古でも構わないと思ってたし、この家にあと何年住むかも不透明だから、経費を考えても中古良品で安く済むんであれば、その方がラッキーだ。
実は、入荷が遅れる事を見越して、別の業者にも相談しておいた。しかし、同じ様に(入荷には)1ヶ月以上掛かるし、中古も殆ど在庫がないと言われていた。
”この(寒くなりつつある)時期に1ヶ月もお湯を使えないなんて”と大きく落ち込んでいただけに、Yさんからの電話は神のお告げにも思えた。
実は、Yさんはまるで、人相を悪くしたマ・ドンソク(写真)の様な大男である。その上、(今どき珍しい?)土足厳禁で車に乗り降りするではないか。
押しと脅しと強面に弱い私だが(悲)、内面はとてもいい人の様に思えていた。が、それがまんまと的中した形となる。
更に、”来年までメーカー保証がついてます”と言うから、”よくそんな良品が見つかりましたね”と聞き返すと、”実は中古業者をいくつか知ってるから何とか譲ってもらった”という。
ああ、マブリーもこんないい人なのだろうか?
そう思いながら、大きく安堵し、お湯が何不自由なく使える瞬間を期待して、床につく。
結局、丸3日ほどお湯が使えなかったが、ポンプの確保が確実になったお陰で不思議と苦にはならなかった。
因みに、新たに交換したステンレス製のポンプは1/3ほどの大きさで、見た目もスッキリで音もとても静かである。出力は200Wだが、お湯の出がスムーズに感じ、シャワーを浴びてても実に気持ちがいい。
最後に〜人は見た目で決まる
人は見た目による?いやよらない?
結論としては、証明も反証も出来ないという所だろうが、モノと同じで(同じ性能なら)、見た目が良い方が宣伝にはなるし、評判も良くなるだろう。
しかしそれは、ヒトやモノの能力や品質や評価や本質とは、全く別モンである事も忘れてはならない。
ヒトは進化の過程で(知能だけでなく)見た目も発達させてきたのかもしれない。いや、そんな単純ではないとしても、大衆は見た目(見え)を非常に気にする生き物である。
例えば、強面の人に道を尋ねる人はまずいないだろうし、いくら席が空いてるとはいえ、ガラの悪い人の横に座ろうとは思わないだろう。つまり、安全に安心して生きるというだけでなく、リスク回避という点でも、”見た目”というのは重要な要素の一つなのだ。
いくら賢くても見た目がアホだったら、バカとみなされるだろうし、その逆も真なりかもしれない。
つまり、見た目とは私達が思う以上に、重要なポジションを(時代を沿う様な形で)占有する様になったのかもしれない。
”人は見た目で決まる”とは、ある意味とても正しいし、ある意味では大きく間違っている。しかし、内面が外的側面を支える事もあろうし、外面が内的側面を支える事もあろう。
つまり、内面と外面は相互に支え合いながら微妙に繋がってると言えなくもない。
これは数学でも同じ事が言えるが、直感(イメージ)だけで判断すると大きなミスを犯すが、本質をズバリと無抜くのも直感である。
直感を外面に本質を内面に置き換えれば理解し易いが、問題によっては直感が当てになったり、当てにならなかったりする。人も同じ事が言えるのかもしれない。
ただ、田舎に長く住んでる経験からすればだが、高齢者ほど見た目で判断出来ると言わざる負えない。
しかし、井戸のポンプに限って言えばだが、(取り付ける人の)見た目には依らない事がハッキリした(笑)。それは、モノがヒトを見た目では判断しないからなのだろうか・・・