象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

直感で判断するとバカを見る(更新)〜「屈辱の数学史」のケース


 今日紹介する数学本は、編集部が勝手に作った邦題が誤解を生み、その苦情が翻訳者の夏目大氏に来たという笑うに笑えないエピソードを持つ「屈辱の数学史」(マットパーカー著)です。
 というのも、原題が「A COMEDY OF MATHS ERROR」と書かれてしまった為に起きた事で、実はこれは原書のサブタイトル(副題)であり原題ではない。実際の原題は「Humble Pi」(屈辱)である。
 故に、誤解を生むのも理解できるが、そのしわ寄せが翻訳者に来るというのも二重の誤解ではある。しかいお陰で、大きな反響を呼び、ベストセラーになったという。
 事実、”Humble Pi”はアメリカ人にとっても高度なジョークだったようで、米国版では「When Math Goes Wrong in the Real World」(数学が現実世界に過ちをもたらす時)と、かなり噛み砕いた副題がつけられている。

 つまり、自由の国アメリカですら”Humble Pi”(=屈辱)は受け入れられなかったのである。如何に直感が人類の思考を支配してるかが理解できる。
 人は直感で物事を判断する。
 いや、多くの人はそう出来ている。故に、様々な誤解を生む訳だが、ごく一部を除き、多くの大衆はバカである。故に、こうした誤解を生む時に決まって大きな騒ぎを引き起こすのも大衆であるし、神話やお伽話、陰謀説やカルト信仰を信じたがるのも大衆である。

 「屈辱の数学史」(Humble Pi)もわかる人はニヤッと笑えるけど(いや、本当は笑えないが)、そうでない人にとっては全く理解できないタイトルに見えたであろう。
 よく読むと(だが)、「屈辱の数学史」は原題のニュアンスを残しつつ、うまい落とし所になっている。というのも、数学という学問は屈辱的な事例のオンパレードである。
 それは数学は悪い事していないのに、それを扱う人間が直感的なミスを犯した事で起きた悲劇の歴史。
 故に”屈辱の数学史”は誤解を生むタイトルでもない。つまり、誤解を生んだのは大衆の直感による判断なのだ。

 そこで、以下に直感で判断するとバカを見るの典型の例を上げるが、以前に私のブログでも紹介した「モンティホール」のケースをおさらいする。
 3つの閉じた箱のいずれか1つに当たりがある。ゲストが1つの箱を選ぶ。その後、ハズレの箱を司会者(モンティ・ホール)が1つ開ける。この時、閉じた残り2つの箱の当たりの確率は(直感的に見ればだが)それぞれ同じ1/2になる筈だ。
 ここでモンティは”最初に選んだ箱から開けられてない箱に変更してもよい”とゲストに告げる。
 プレイヤーは箱を変更すべきだろうか?
 そこで、ギネス最高のIQ308を誇るマリリンが導いた答えは、”箱を選び直せば確率は2倍の2/3になる”と。
 1990年の事だが、直感に反するマリリンの回答が大きな反感を呼び、高名な数学者ポール・エルデシュまでもが反論する事態となった。しかし(皮肉な事に)、エルデシュの弟子がコンピュータで計算した所、彼女の正しさが実証された。
 反論には、1000人近い博士号保持者も含まれ、大部分は”箱を変えても確率は同じ1/2であり、2/3にはならない”と。
 更に、”世界最高の知能を持つ貴女が自ら数学的無知をこれ以上世間に広めるべきではない”と罵られる始末。
 これに対し彼女は、”箱を変えれば勝てるのは3回の内2回(のケースが考えられる)。しかし、箱を変えなければ勝てるのは3回の内1回だけだわ”と反論した。

 事実、元々3つの箱の中で当たりが入っている確率はそれぞれ1/3であり、残り2つの箱に当たりが入ってる確率は2/3(=1/3×2)。
 つまり、ハズレの箱を1つ開けても(それを含めた)残り2箱に当たりが入ってる確率2/3は変わらない。故に、最初に選んだ箱以外を選んだ方が当たりの確率も2/3となる(下イラスト参照)。
 これは、モンティがハズレの箱を1つ開けても、確率には何の影響もなく、最初に選んだ箱が当たりの確率は最初と同じ1/3である事から理解できる。
 勿論(ブログでも紹介した様に)、全てをバカ正直に書き出して確認する事もできるし、確率論的に厳密に小難しく証明する事もできる。
 が、イラスト(下)にある様に、書いて調べればすぐに解る事だが、我ら大衆は直感で物事を把握しようとする為に、こうした勘違いが起きてしまう。

 但し、モンティホールの様なケースでは実際の人的な被害はない。しかし、これが大惨事を生む災害に繋がったとしたら?それも直感による判断ミスではなく、数学を扱う上でのほんの些細な、いや偶然でのミスで起こりうるとしたら?


「屈辱の数学史」

 現代人の生活は数学に依存する。コンピュータプログラム、金融、工学など全ての基礎は数学にある。
 普段、数学は舞台裏で静かに仕事をし、表に出る事はない。出るとすれば、悲惨な結果になった時だけだ。
 本書では、実際にそうなった事例を数多く取り上げ、その背景を詳しく説明する。
 大事故寸前で切り抜けられた例もあれば、大惨事になった例もある。インターネット、ビッグデータ、選挙、道路標識、宝くじ、オリンピック、古代ローマの暦……など事例は多岐にわたる。
 数学のミスがいかに恐ろしく、世の中で如何に数学が重要な地位を占めてるのか・・・
 大衆は総じて数学が苦手だ。でも数学を味方にできれば、少なくとも今よりは(精神面ではだが)ずっと幸せになれる(それは私が保証する)。本書は、ミスを防ぎ危険を回避できる仕組みを数学を親しむが如く、教えてくれる。 
 つまり、”屈辱”をとことん楽しめる一冊である(以上、前書きより)。

 数の概念を履き違えた為に、ペプシポイントでハリアー戦闘機が1/30の値段で買えてしまうという矛盾。くじの開催者が負の数を理解してなく、当たりくじが無効になった悲劇。
 ユリウス暦を使っていたロシア選手団が1908年ロンドン五輪に大幅遅刻した大失態。
 32bitコンピュータが2038年に誤作動するという珍事件。共振で橋が大揺れした笑えない大事故。”データが存在しない”を意味するNullを何度打ってもデータが削除されるナル氏の不運。スプレッドシートで”平均”(AVR)の代わりに”合計”(SUM)を使ったお陰で過小評価を生み、JPモルガンチェースは60億の損失を犯した、笑うに笑えない人為的ミス。三角測量のミスで淡水湖が塩水湖になったとしたら?

 定副図形を円と誤認したチャレンジャーの惨劇と楽観的確率論の危険性。ロールオーバーエラーでCivガンジーが核を撃ち、パトリオットミサイルは迎撃失敗の体たらく。
 ”0で割り算”をしたせいでメモリオーバーを起こし、全電源喪失した巡洋艦。うっかりミスでジェイコム事件勃発。出品者不在の為にアルゴリズムが暴走して起きた、1万ドルの「ハエの本」。僅か一度の単位の取り違えで破壊した火星探査機。
 CEOに支払われる報酬を決める役員たちの数学的無知が引き起こしたストックオプション制度だが、これがCEOの報酬を劇的に引き上げたという笑えない矛盾。
 ランダムが実はランダムではなかったが為に、クイズ番組で11万ドル獲得した幸運な人などなど・・・


直感の危うさと大切さ

 私達大衆は経験や教育を受ける事で比較的小さな数に関しては直線的に感じる事が出来るが、極端に大きな数に対しては正確に捉えきれず、非直線的いや対数的(加速度的)に捉える事が多い。
 つまり、100兆円と1000億円の違いを100万円と1000円の違いとを同じ様に感じてしまう。前者は国家予算と企業予算の次元だし、後者は中古の軽自動車とラーメンの違いであるにも関わらず・・
 もっとわかり易く言えば、10億秒は31年という人生に十分収まる時間だが、1兆秒は3万年以上と人類存続の領域を超えそうな時間である。 
 私達の脳は(極々一部の天才を除き)生まれつき数学が得意ではない。一方で、数や空間に対し優れた幅広い能力を持って生まれてくる事も事実である。
 小さな子供でも紙に書かれたモノの形や点の数は認識できるし、足したり引いたりという簡単な計算も出来る。

 一方で人間は、言語や記号を必要とする世界に生きていて、そんな世界に順応する能力を持って生まれてくる。しかし、生存やコミュニティに必要な能力と、数学に必要な能力は大きく異なる。
 数を対数として捉える事は間違いではないが、数学では数を直線的に捉える思考も必要である。
 人間は所詮は愚かな生き物である。進化が私達に与えてくれる能力では間に合わないので、意識してそれを超える能力、つまり生物として生きる上で合理的でない能力を身につける必要がある。
 分数や負の数や(更にいえば)無理数虚数などの奇妙な数の概念を直感的に理解できる能力を持って生まれてくる人はいない。が、時間を掛けてゆっくりとそうした概念を学んでいく。教育で数学に触れていく過程で、我らの脳は次第に数学的に考える事が出来るようになる。しかし、使わなくなれば、その脳は再び原始人の脳に戻ってしまう。

 人類は基本的には数学が苦手である。
 にも関わらず、現代社会は数学に大きく依存する。いや殆ど依存すると言っていい。しかし、種単位では生まれつきの脳の能力を遥かに超えて数学を探求し、数学を利用する。
 つまり、知の限界を超えて数学と格闘してきた。直感だけに頼らず学習を続けてるからこその成せる偉業であるし、とてつもない事が出来るのだ。が、直感では判らないが故に、誤りも起こりやすいのも事実である。つまり、何かを間違えても気付かない事が多く、一寸した間違いが恐ろしい結果を招く場合もある。

 数学がどれほど大切な学問であるかは、何か重大な問題が起きた時にこそ明らかになる。更に、その仕事が高度なほどに損害も大きい。
 つまり、高い所に上がる程に落下の衝撃は大きい。
 それでも人はミスを犯す。その度に数学の重要性が明らかになり、更に数学は進化し研ぎ澄まされる。そうやって、人類の知の限界は更新され続けていく。


最後に

 その他では、コンピューターは2進数で数字を扱うが故に、10進数の計算は苦手で、特に割り算に弱い。故に何らかの処理(切り捨て)をして値を修正するが、その限界を超えると時として致命的なエラーをしでかす。 
 間違った伝説として、最近起きた事はしばらくは起きない。地震などの災害ならありうるが、宝くじはない。つまり、宝くじは当たった時の夢を買うものである。
 統計は慎重に判断しないと解釈を間違うし、マスコミはその間違いに気がつかないでバカを繰り返す。統計調査では”平均的な人”は存在しないし、人間とは平均を知るのが無意味なほど個人差の大きい存在である。

 適者生存は単なる錯覚であり、人類が生き延びてるのも偶然が犯した奇跡である。しかし、数学は必然であり、偶然をも記述する。
 数学は正しい答えが見つけるが、統計学は物語の一部を見せているだけで、答えのない事の方が多い。 
 何か問題があった時、人は決まって”犯人探し”をする。が、人がミスをするのは防ぎようがない。それでも、ミスをしない徹底したルール作りをするが、事故が防げる筈もない。
 つまり、エラーに強いシステムを作るのが先決である。誰かがどこかでミスをしても事故に繋がらないシステム。故に、事故が起きた時はシステム全体の欠陥のせいである。
 しかし、これにも限界がある。滅多に起きないエラーはいつかは起きる。BA5390便の事故も、あらゆる事全てが悪い方向に進んだ結果、フロントガラスが吹っ飛んだのだ。

 人間はミスを犯す生き物である。
 大衆は更に多くの単純なミスを犯す。
 完璧だとされたシステムもエラーを起こす。
 ミスをしない筈の数学すらも完全じゃない(byゲーデル)。
 故に、人類も大衆も、更に(神をも超える)天才数学者も謙虚であるべきだ。
 でないと、数学は屈辱に塗れるばかりである。
 人類が数学を通して犯したミスは、コメディ(喜劇)どころか多くの惨劇を生んだ。こうした惨劇の歴史は数学の屈辱の歴史でもある。
 数学の世界では、直感による判断は多くのミスを引き起こす。しかし、そんなミスを見つけだすのも人間の直感である。
 直線的な数学的思考と対数的な人類の直感。共に相反するものだが、互いの不足を補う関係にある。
 直感で物事を判断するのは多くのミスを犯すが、先を見通す有効な手段になりうる。
 言い換えれば、直感によるミスがあるからこそ数学が必要であり、その数学も直感を必要とする。
 もっと言えば、人類は数学を必要とし、数学もまた人類を必要とする。

 ”A COMEDY OF MATHS ERROR”という副題は、単に冗談半分で付けられたものではないような気がする。
 そこには、神様が”数学だって時としてコミカルなエラーをするんだぜ”って囁いてるような気がする。
 そう、神様と人類と数学は共存すべき生き物なのだろうか。