まずは、この偉大な記録を日本人の誇りとして、世界中に誇れる記録として、賛美を贈りたい。
かつては、野茂のメジャー挑戦もイチローの世界記録も言わば”時代の流れ”いや”時代の変化”が生んだ大記録でもあった。
勿論、前者は前年のストライキによるメジャーのレベルの低下や、後者はステロイドによる質の低下に依存するものが大きかったが、日本人としては、ソニーやトヨタやホンダと並ぶ、世界に誇れる”NOMO”であり”ICHIRO”でもあった。
今回の大谷の大記録も”時代の変化”が生んだと言えなくもないが、時代という点では大谷の(守らない)二刀流は、かつてはニグロリーグ時代の黒人選手たちが内野間で毎日の様にローテを回していた事を考えると、”時代の変化”とは言い難い。更に、ルースの(守る)二刀流も、ファンからは”外野はパートタイマーレベルじゃないか”と、守備に就く度にヤジを飛ばされた。
それに比べたら、(守らない)大谷の二刀流はある意味”時代を戻した”とも言える。
一方で、”51−51”という大記録だが、HRと盗塁のダブルの偉業は、1988年のホセ・カンセコの”40−40”にまで遡る。が、実はその前年に、日本の秋山幸二選手(西武)が”43−38”を記録し、”40−40”の大台を逃した事は、私の記憶にはだが新しい。
事実、カンセコがこの偉業を達成するまでは、メジャーの殆どがこの記録には関心がなかったし、評価も成されなかった。
もし、往年のメジャーらがHRと盗塁の両立が凄い事だと理解し、認識していたら、カンセコのずっと以前に、”40−40”はおろか”50−50”という大記録も達成されてたかも知れない。確かに、若い頃のルースは脚も速かったし、4割近い打率を残した事もある。
そういう意味では、”時代の流れ”と言うより、大谷が”時代を引き戻した”と言った方が正解である。
大記録の陰で・・・
今回の大谷の大偉業だが、評論家の間で指摘されてるのが、盗塁し易くなった”ルール改正”である。
つまり、”動きが少ない”との理由で人気と(放映権料を含む)興行が落ち込むMLBでは、ダイナミックなプレーを増やそうと、昨年からベースが1周り大きくなり、投手の牽制回数も制限され、より盗塁し易くなった。
結果、MLB全体の盗塁数は昨年よりも40%増えた。でなければ、アクーニャJrの様に”40−70”が達成できる筈がない。
因みに、大谷の走力は8.56m/sでMLB平均の8.23m/sよりも速いが、MLB全体では154位だから、イチローの様なスピードスターではない。だが、今年はDHに専念してる為、時間と体力はたっぷりある。故に、走塁のフォームを徹底して改善し、相手投手の癖を研究し、ハードな練習を重ねた。まさに、大谷だからこそ出来る芸当ではある。
但し、シーズン130盗塁のMLB記録を持つR・ヘンダーソンだが、現行のルールだと200盗塁は可能だったとされる。
2つ目には(記事でも何度か書いた)”飛び過ぎるボール”による”フライボール革命”がある。
かつての(飛ばないボールの頃の)メジャーは三振する事が恥だったが、今は全く違う。つまり、狭い球場でボールがよく飛ぶんだから”三振を恐れずに下から振りあげろ”との理屈である。
事実、”フライ革命”と”飛び過ぎるボール”のお陰で、打者の質は低下し、MLB全体の平均打率はステロイド全盛の1999年頃でも2割7分あったのが、今年は2割4分と”MLB史上最低の打率”になりつつある。
つまり、HRか?三振か?で無茶振りするから、HRは増えど三振も増え、打率は急落し、”最低の打撃”に陥落する。
因みに、現行のルールと”飛び過ぎるボール”と”狭い球場”なら、ルースの60本塁打は160本以上に相当するのではと、私は推測する。
3つ目に、メジャーの質とレベルと人気の急落が挙げられると思う。
冒頭でも指摘した、ストライキやステロイドによるのも大きいが、特に著しいのが、黒人選手の減少である。不足分は中南米から入ってくるから、表面上は目立たないが、MLBの大半の歴史とプレースタイルが実質、アメリカ黒人に支えられてた事実を考えると、MLBのプレーの質やレベルの低下は当然の流れとも言える。
確かに、かつては黒人はプロスポーツやエンタメで活躍し、大金を稼ぎ、(社会ではなく)世間的地位を大きく向上させてきた。だがそれは現役時代での話であり、引退後は(高給だが)無職という名の”年金暮らし”には変わりない。
結局、メジャーでいくら頑張っても実質の黒人の地位は向上する事もなく、差別がなくなる筈もない。つまり、黒人のホワイトカラー化が進みつつある昨今のアメリカを物語ってるのかも知れない。確かに、かつては黒人にMBAや実業家や学者や教授というのは、あまり見かけなかった様な気もする。
が少なくとも、MLBの質の低下が”51−51”の大偉業に結びついたとは考えたくないし、信じたくもない。でも、それが現実だとしたら・・・事実、アクーニャJrの”40−70”は日本でも殆ど話題にならなかったし、大谷の”51−51”はベースボール人気が冷え込んだ昨今のアメリカでは、どれだけ話題に挙がったんだろうか?
最後に〜MLBの劣化と大谷の偉業
以上の様に、大谷ファンと多くの日本人には耳が痛い、身勝手で個人的な考察だが、大谷の孤軍奮闘する姿は往年の輝かしいメジャーの時代を彷彿させるものがある。
”原点回帰”という点ではイチローの世界記録もそうだったが、その後のMLBへの影響を考えると、殆ど寄与しなかった様にも思える。つまり”世界の王サン”と同じで、日本列島だけでバカ騒ぎした様なものである。
事実、野茂も松井の活躍も地元LAやNYでは、日本メディアが報道する程の騒ぎでも人気でもなかった。
一方で、70年代以前の黄金期のMLBのレベルだったら、大谷はここまで数字を伸ばせたであろうか?との疑問も湧いてくる。
勿論、金田や稲尾や江川投手がMLBのマウンドで投げてたら、20勝は固かったろうとの身勝手な予測も可能だろう。スタルヒンなら300勝出来ただろうか?ディマジオとモンローの仲人を努めたキャピ―原田なら殿堂入りは確実だったろうか?
「2つのホームベース」でも書いたが、その原田氏と高校時代に二遊間を守った入江正夫氏なら、イチローを超えたであろうか?
最近の日本人メジャーが新たな大記録を作る度にに、あらゆる予想が次々と湧いてくる。
メジャーが陥落しつつある時代。そんな時代に大谷が登場し、(守らないが)二刀流を再現し、”51−51”を達成した。それだけでも十分なのに、昭和の野球ファンからすれば、不思議と物足りないものがある。
それは、1つには昨今のプロ野球以上に、メジャーに殆ど魅力を感じなくなったからだ。老いたアイドルにトキメキを感じない様に、劣化したキャバ嬢に欲情を見出す事もない。ましては、老人会のゲートボール程に動きの乏しい野球に魂と身体が躍動する筈もない。
つまり、PTAや隣組と同様に、野球というオールドボールゲームにも、既に寿命と限界が来てるのかも知れない。
かつては(”ミスター”と誰しもが呼んだ)長島茂雄の一挙手一投足に釘付けになった私だが、大谷の活躍には殆ど見入る事がなかった。
一方で、長島の存在は既にメジャーを超えてたし、我ら日本国民は(当時黄金時代にあった)メジャーでなくとも、長島を見てるだけで満足の境地に至った。
また、長島さんの記憶と王さんの記録は度々比較されるが、記録は風化しても記憶が風化する事はない。つまり、記憶は時代と共に受け継がれ、歴史と人類にしっかりと刻み込まれていく。
仮に、今回の大谷の大記録が単なるメジャーの劣化によるものなら、MLBの終焉も時代の流れなのだろう。つまり、時代はメジャーの様々な大記録も、そして、偉大なMLBの歴史をも簡単に洗い流してしまうのだろうか。
今回の大谷の偉業を振り返り、長嶋さんの記憶がオーバーラップし、鮮やかに蘇るのも不思議なものである。