象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

ディリクレの偉業とゼータ関数、そして素数との出会い〜リーマンの謎”3の2”


 前回の”3の1”では、コーシーからリーマンに引き継がれた複素解析について大まかに述べました。このリーマンの謎を解く大きな原動力となったコーシーの複素解析はリーマンが受け継ぎ、大きく飛躍します。
 しかし、それだけではゼータ関数素数の繋がりは何処にも見い出せない。たとえ、ゼータ関数を解析接続の力で複素領域にまで拡張できたとしても。
 ではなぜ、リーマンはゼータ関数素数の謎を結びつける事が出来たのか?
 そこには、リーマンの第2の師匠であるディリクレの存在があったのだ。
 以下、”3の1”と同じく素数の音楽」を参考にしてます。


リーマンと物理学との出会い

 ゲッティンゲンに戻ったリーマンには親交を結べる友人が殆どいなかった。老ガウスは厳格すぎて近寄れそうになかったが、高名な物理学者でガウスの研究仲間であるヴィルヘルム・ヴェーバーが唯一の親しい仲間であり先輩でもあった。
 ガウスヴェーバーの関係は、ホームズ&ワトソンの関係と同じで、ガウスが理論を提供し、ヴェーバーが実行する。2人が最も研究に没頭したのは、電磁気による通信の実験で、ガウスの観測所とヴェーバーの研究室を電信線で繋ぎ、メッセージをやり取りした。
 ガウスは物珍しい発見に過ぎないと考えてたが、ヴェーバーはこの実験に壮大なプロジェクトを見通してた。
 ”地球が電信線の網で覆われる時、人は考えや感情を高速で通信する手段を得るであろう”
 事実、昨今のネット社会とガウスが発明した時計計算機がネットセキュリティの中枢になった事を考えれば、2人はeビジネスとインターネットの祖父と言えようか。

 ヴェーバーは奇妙な小男だったが、少しばかり反骨心旺盛で、リーマンとは非常にウマがあった。
 博士論文を完成させたばかりのリーマンは電磁気に興味を持ち、ヴェーバーの助手として働いた。やがて、ヴェーバーの娘に心を寄せたが実らぬ恋だった。
 リーマンは、自分の数学理論を物理学に応用したいと考えていた。彼は準備していた電磁波の研究を生前に公表するには至らなかったが、リーマンが発表した主要な4つの論文よりも力を注いでたとされる。

 リーマンは、物理学の根本的な問いは全て数学だけで解く事が出来ると確信していた。このリーマンの数学における揺るぎない信頼は、やがて物理学のその後の発展により裏付けられる事になる。
 今では多くの科学者がリーマンの幾何学理論を自然科学に対する最大の貢献だとみなすようになった。事実、リーマンの理論は20世紀の科学革命と言われた、アインシュタイン相対性理論を引き出した。


ディリクレ、ゲッティンゲンに現る

 リーマンが幾何学の論文(1854)を発表し、教授資格を得た1年後、ガウスは息を引き取った。しかしガウスに続く人々は、彼が発見した素数定理に長く頭を悩ませる事になる。
 ガウスの死去により教授職の空きを埋めたのは、グスタフ・ディリクレ(Johann Peter Gustav Lejeune Dirichlet、1805−1859、写真)だった。
 彼こそが、このド田舎のゲッティンゲンにある種の知的興奮をもたらす事になる。
 ディリクレは背の高いひょろっとした男で、声はザラザラで耳もよくない。顔も洗わずヒゲも剃らず、奔放な風貌とは裏腹に内心では、厳格な証明を求める熱い炎が燃え盛ってた。
 ベルリンの同僚で親友のヤコビは、この背の高い反骨男を以下の様に自慢した。
 ”完璧な証明が出来たのはディリクレだけだ。ガウスが何かを証明したら、なるほどそうかもな。コーシーが証明すれば、その可能性は半々だろう。しかしディリクレとなれば、それは全く確かな事なのだ”

 ディリクレは妻レベッカメンデルスゾーンの妹である事から、典型の社交家だった。その彼も序列に拘らない砕けた人柄で、リーマンは腹を割って話し合う事が出来た。
 ディリクレの寛いだ雰囲気はリーマンの閉ざされてた心を自由にした。
 ”ディリクレ先生は私の為に2時間ほど時間を割いてくれました。私など先生の足元にも及ばぬ存在なのに、こんなに親切にして下さるとは”

 一方ディリクレは、リーマンの謙虚さや独創性を高く評価してた。時には図書館に篭もりきりのリーマンを散歩に誘った。
 つまり、この時の散歩が次の一歩を踏み出す事となり、素数の不思議な世界にリーマンを誘い込み、新しい展開を呼び込む。


ディリクレとゼータ関数素数

 ディリクレはパリで過ごした1820年代に、若きガウスの大論文「アリトメチカ考究」(1801)にのめり込んだ。しかし、数論という分野の独立を告げたこの本はあまりに難解で理解できた人は殆どいなかった。
 その難解さ故に、”7つの封印を持つ本”と呼ばれたが、ディリクレはこれらの封印を見事に解いてみせた。
 中でもガウス時計計算機は、ディリクレの興味を強く惹きつけた。今ではフェルマーの小予想”と呼ばれるが、N時間の時計計算機に素数を入れると、時計は何時でも無限に1時を指すと予想した。
 例えば4時間の時計計算機では、”4で割った1余る素数は無限にある”という予想だ。事実その様な素数を順に挙げると、5.13,17,29...となる。

 1938年、ディリクレは33歳にして、この予想が正しい事を証明し、一躍世界に名を轟かせた。ディリクレは素数が無数にあるという事を証明する為に、オイラーの時代に初めて登場したゼータ関数(L関数)を使った。
 これこそが素数定理に刺激された”解析数論の始まり”とされ、ディリクレが初めてL関数を導入した時でもある。
 つまり、リーマンの論文(1859)の序文に登場する3人の偉大な数学者であるオイラー(オイラー積)、ガウス(素数定理)、ディリクレ(ゼータ関数)こそが、リーマンを複素関数の世界から強引に、素数の世界へと呼び覚ました事になる。

 今更述べるまでもないが、オイラーが発見し、ディリクレが関数として確立したゼータ関数だが、実数xを定義域とすると、ζ(x)=1/1ˣ+1/2ˣ+1/3ˣ+・・・+1/nˣ+・・・という単純な”無限和”で表される。
 しかし、この関数が将来、現代数学を揺るがす程の強力な道具になるとは、当時誰一人予想していなかった。

 少し中途半端な長さですが、今日はこれで終了です。
 次回は、オイラーが発見したこの無限和の考察(オイラー積)が、如何にギリシャ時代の素数物語をゼータ関数に結びつけ、ディリクレを経由してリーマンに結びつけたかを述べたいと思います。
 また、ディリクレの生涯については別途書きたいと思います。