
近所の友人が作ったB29のプラモデルに、小学低学年の私は思わず見とれてしまった。
親戚の叔父に作ってもらったの事だが、2発の原爆を落とした難きアメリカ機だが、実に完成度の高い爆撃機だと子供心に思った。
早速、それに対抗するかの様に、私はゼロ戦のプラモデルを作ろうと考えた。
実際そのゼロ戦は、B29などの大型爆撃機を迎撃する為に生産されたが、開発は困難を極め、技術的困難を抱えたまま飛行する羽目になったので、生産数は限られ、目立った戦果を残す事なく、姿を消した。
そのゼロ戦こそが、日本海軍が大きな期待を寄せて送り込んだ(新世代のゼロ戦である)”雷電”である。しかし、”ゼロ戦に代わる”どころか、それにも及ばなかった。
この雷電(らいでん)のプラモデル(写真、Amazon)を作ってみて、子供心に感じた事がある。1/48サイズだから期待する様なものが出来ると思ってたが、史実と同様に(形だけは立派だが)何かが物足りなく感じた。
故に、中途な出来のまま、棚に飾られる事なく、すぐに焼却処分となった。
零式と一式
フォロワーさんの「つれづれ翼」を読んでて、ふと気がついた。
”零式と一式ってどう違う”のだろうと・・
日本人でありながら、ゼロ戦とゼロ戦以外の戦闘機の違いを知らんかった自分をとても情けなく思う。
戦争ブログでは偉そうな事ばかり書いて、こうした基本中の基本を知らないのだ。
しかし、特攻の犠牲になって殉死していった健気な若者は、そうした違いは知っていたのだろうか?いや、そういう事を教えられないままに敵艦へと突っ込んでいったのだろうか?
以下、「戦闘機の零式、一式、二式とはどのように違う?」より一部抜粋です。
零式は正式名・零式艦上戦闘機(ゼロ戦)で、海軍の空母搭載を前提とした戦闘機。一式は、陸軍の戦闘機で”隼(はやぶさ)”の事。二式は、陸軍の二式単座戦闘機”鍾馗(しょうき)”と複座戦闘機の”屠龍(とりゅう)”。
構造上の違いと言うより、零式は海軍機で、一式と二式は陸軍機。零式と一式は用途は同じだが、零式は三菱製で、一式は中島飛行機製。(同じ中島の)二式の単座戦闘機は、敵攻撃隊の迎撃が任務で、複座戦闘機は長距離の援護戦闘機として開発された双発複座の戦闘機ですが、後に重爆キラー として活躍した。
ゼロ戦は空母に搭載して運用する事を主目的に開発され、航続距離が長く、武装が強力(20ミリ2丁&7.7ミリ2丁)だが、空母で運用する為、機体を軽くする必要があり、防弾性能はない。一式戦闘機は陸軍の戦闘機で航続距離を重点に開発された為、武装は貧弱(7.7ミリ2丁のみ)だ。二式戦闘機は爆撃機迎撃用で速度や上昇力を重視し、武装は12.7ミリ4丁だが、操縦が難しかったと。
一方で、”陸軍は一式、二式、、、五式と沢山あるのに、海軍は零式、雷電、紫電しかないのでしょう?”という質問もある。
りくすけサンの「つれづれ翼」に書かれてた様に、海軍(三菱)は零戦の後継機の開発(アップデート)に失敗したからである。
本来なら、四式と同時に”烈風”ができてる筈で、しかも(冒頭で述べた)”雷電”は1939年に開発し、1944年にものになるかどうかの始末。”紫電改”は川西航空機が自分から申し出て、自主的に作った機だが、これだけがものになったのは瓢箪から駒であった。二式は中島が自主的に開発したので、陸軍主導とは言えない。また五式は三式のエンジンを変えただけで殆ど同じものである。
以上、Yahoo知恵袋からでした。
因みに、4式には戦闘機の”疾風”(中島キ84)と爆撃機の”飛竜”(中島キ67)がある。1944年の登場ながら零戦や一式に次ぐ3500機が生産された。特に疾風(はやて)は、高度6000mにおいて660km/hと大戦中の日本製戦闘機の中では最速で、アメリカ軍からも”The best Japanese fighter”と評価された。
一方で少し触れた3式戦闘機だが、日本唯一の”液冷”戦闘機で、試作機は最高速度590km/hを発揮した。が、川崎航空機が開発・製造した”飛燕”(川崎キ61)は、工業力の低い当時の日本には、不慣れで故障も多かった。この事態に対処する為、星型空冷エンジンを急遽搭載した五式戦闘機が生産された(ウィキ)。
最後に〜悲しいだけの特攻
この様に、太平洋戦争の序盤は縦横無尽に飛び回ったゼロ戦だが、戦火が長引くにつれ、時代遅れになり、アップデートは勿論、生産(量産)もままならなかった。
まるで旧世代の軽自動車が新世代の高速トラックに戦いを挑む様な戦争だったのだろう。
今もし貴方が、軽自動車で”大型トラックにぶつかってこい”と上司から命令されたら、それがたとえ国の命令、いや天皇の意志だとしても、素直に受け入れるのだろうか?
将来ある若者の命を”特攻”という無謀な狂気の惨劇に晒した旧日本軍の首脳部の責任は、今更だが厳しく追及されるべきである。
沖縄の海には、特攻作戦の犠牲になって殉死していった若者らの魂が沈んでいる。
彼らには、”零式と一式の違い”なんて考える余裕はなかった筈だ。あるのは”ゼロ”の境地だったかもしれない。つまり、”国の為に死ぬのだから死ぬ事は怖くない”と・・・
しかし、命を乗せる戦闘機なら、せめて互角以上に戦えるゼロ戦であってほしかった。いや、互角といかないまでも十分な訓練と知識を持たせて、その上で命を犠牲にする覚悟なら、特攻の意味は少しはあったかも知れない。
多分、彼らは”零式と一式の違い”なんて教わる事なく、時代遅れのポンコツ機に乗せられ、敵艦のケタ違いの火力の前に、まるでチリ紙が燃え尽きるかの様に、呆気なく燃え散っていく。
今、様々な資料や海中捜査から、語られなかった(いや、敢えて語ろうとしなかった)特攻の”真実”が解き明かされようとしている。
そういう私も、鹿児島の知覧特攻平和会館でゼロ戦を見た事があるが、まるでオモチャに思えた。少なくとも戦闘機には見えなかった。
極限にまで無駄を削り落とし、滑稽なまでに軽量化された機体には、人間の叡智というより、悲しさと貧しさだけが漂ってた様に思える。
しかし、そういうのを含めて戦争である。
つまり、追い込まれた人間は(戦争でなくとも無茶を犯すし)、自分の命も他人の命をも羽根の様に軽く扱う。
それでも、人は国の為に戦おうとする。傲慢で身勝手な独裁者や侵略者がいる限り、不条理で悲惨な戦争はなくならない。
追記
安倍氏の国葬が閣議決定した。(電通が仕切ってるからか)当初は2億とされてた予算は2億5千万に膨れ上がった。勿論、全て税金という名の国費である。
内閣は(国民に誤解のない様に)”丁寧に説明する”と言い逃れをするが、安倍が犯した愚行や悪行の1つ1つをきめ細かく説明するというのだろうか?
これはまさしく、国民と民主主義を冒涜する自民党の独裁行為、いや恐怖政治である。事実、安倍氏が死んでからは、ありとあらゆる疑惑が次々に染み出している。
こうした諸々の巨悪を囲い込んでた元首相の国葬を、特攻で死んでいった若者らが見つめたとしたら、何と叫ぶであろう。
”殺されたから国葬を”というのなら、国の為に自ら死を選択した特攻兵士たちは、国葬以上の存在である。
腐りきった自民党の恐怖政治を見せつけられる我ら日本島民は、世界一哀れな民族かもしれない。