象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

弱者こそが進化を支える〜個性と多様性こそが生き残る武器となる


 ”進化に成功したのは実は強い生き物ではなく、オンリー1になれる場所を見つけた(誰よりも)弱い生き物でした”(Amazon)

 勝者は戦い方を変えないし、変えない方がいい。変わる事は負ける事に繋がり、劇的な変化は常に敗者によってもたらされてきた。
 つまりこの本、いや”はずれ者”が言いたいのは、環境は多種多様で、どの環境にもナンバー1が君臨する。故に、最も自分らしさを発揮できる”オンリー1”を見つけるのが得策であるという事だ。
 ナンバー1やオンリー1にならなくとも今を生き伸びる為のヒントを、この「はずれ者が進化をつくる」(稲垣栄洋 著)では熱く語られている。

 それに今更だが、”雑草魂”とは何なのか?
 弱者の遠吠えか?それとも、強者を駆逐する生存戦略なのか?
 雑草の研究者である著者は、この雑草魂こそが弱者の多様性を支え、しかも雑草の弱さこそが繁栄する為に役立ってると説く。


ナンバー1からオンリー1へ

 何だかSMAPの歌を聞いてるようで、(私はどうも)”オンリー1”という響きが好きになれないが、以下の3つのケースを紹介すれば、なる程と思えてくる。

 ①飛べなかったキウィ
 キウィの祖先は飛ぶ事のできる鳥だったとされる。が、その中に飛ぶ事の苦手な個体が生まれた。鳥なのに飛べない”はずれ者”。
 ただニュージーランドには、キウィを襲う天敵がいなかったので、飛んで逃げる必要がない。飛ばないのでエネルギーを使わない。その分、エサも少なくてすむし、節約したエネルギーで沢山卵を産む。こうして飛ぶのが苦手な”鳥”が(飛ぶのが苦手な)子孫を沢山産み、飛べない鳥に進化していった。

 ②元々あった足を捨て、土の中で生き残れたミミズ
 ミミズは肉食でも草食でもなく、土の中で土を食べて生きる。土の中では(手も足もない)最強のミミズだが、その祖先は元々は頭や足の様な器官を持つ生物だったとされる。しかし、土の中で土を食べて生きるというナンバー1になる為に、足を捨てた。

 ③踏まれても立ち上がらないから成長できる雑草
 踏まれる場所で生きていく上で一番大切な事は、立ち上がる事ではない。”踏まれたら立ち上がるべき”というのは、人間の勝手な思い込みだ。勿論、踏まれっ放しという訳ではなく、踏まれて上に伸びる事ができなくても決して諦めない。(雑草は自ら)横に伸びたり、茎を短くし、地面の下の根を伸ばす事で、何とか花を咲かせようとする。
 もはや、立ち上がる事などどうでもいいかの様だ。雑草は花を咲かせ、種を残すという大切な事を忘れないし、諦める事もない。だからこそ、どんなに踏まれても必ず花を咲かせ、種を残す。つまり”踏まれても踏まれても大切な事を見失わない”事こそが本当の雑草魂なのだ。

 結局、(敢えて)頑張らなかったから、彼らは生き残れた。この頑張らない事がどうやって個性と多様性に結びつき、最強のオンリー1を獲得できたのか?
 今日は、そういう事を探ってみる。


個性と多様性

 雑草は勝手に生えてくるが、育てるとなると難しい。品種改良された野菜や花の種とは異なり、芽が出たとしても時期はバラバラ。
 ”くっつき虫”の別名を持つ雑草”オナモミには、早く芽が出る種となかなか芽を出さない種の2種類の種子があり、芽を出す時期を変える事で、どんな条件下でも生き残っていける。
 自然界において何が正解なのか?は、その時になってみないとわからない。だからこそ生物は、”個性”とも呼ぶべき遺伝的多様性を持つ様になった。
 個性がなければ、環境の変化に耐えられない。実際に(19世紀の)アイルランドでは、(病気に弱いが)収量の多い(優秀な)ジャガイモだけを栽培した結果、その種だけが病気に侵され、壊滅状態になった。
 これは数学も同じで、答えがないから多様性を持つようになり、現代数学応用数学としてとして大きく拡散し繁殖した。つまり、数学にも各分野に個性が存在する。
 以下、「生き物をめぐる個性の秘密」より一部抜粋です。

 人間社会も、個性があるからこそ成り立つ。アナタの個性も世界でたった一つ。私たちの特徴は親から引き継ぐ染色体により形作られるが、その組合せは70兆を超える(但し、外観的特徴を決めるDNAは5千種ほど)。更に、染色体を構成するDNAが変異する事で、オンリー1のアナタだけの個性が生み出されていく。
 人間は物事を数値化し、序列をつけ並べる事で、複雑多様な世界を理解しようとする。
 ”平均”もその1つである。
 平均があるから、人間は大きさや長さを判断できる。平均とは”ふつう”の事だが、自然界には、平均値も普通もない。あるのは多様性だけだ。が、中には平均から大きく外れた”はずれ者”もいる。こうした(多様性の一部である)はずれ者も環境の変化に適応し、生き残る。
 やがて、そのはずれ者が新たな標準となり、生物は進化していく。
 しかし、人は”ものさし”を使い、優劣をつけたがる。だが、そこにあるのは優劣ではなく、単なる”違い”だ。この(違いという)バラツキがなければ、種を存続させる事はできない。
 人間には、ものさしでは測れない価値がある。管理しやすい”ふつう”(=平均)ばかりを評価するではなく、もっと”違い”を大切にするべきだろうに。

 著者の稲垣氏は、人間は対象を理解しやすくする為に、”物事を分類し、境界を引き、比較しがちだ”と書いている。この様な管理手法は人間自身にも及び、個性を失わせ、画一的な人間を生み出す社会を、私たち自身が創り出してるとしたら・・・
 生物多様性やマイノリティといった言葉に代表される様に、私たちは次第に”いろいろな物事”に目を向ける様になってきた。そうした視線を私たち自身に向け、”自分の個性を自由に発揮すべき”ではないだろうか。
 稲垣氏は雑草の研究者である。
 ”雑草は強い”と思われがちだが、実は決してそんな事はない。しかもその弱さが生き残り、繁栄する為に役立ってるのだ。
 人間からは邪魔者扱いされがちな雑草だが、本書を読むとその強かさには目を見張る。著者はきっと雑草を研究する過程でその強かさに驚愕し、深い愛着を持つ様になったのだろう。
 以上、flierからでした。


最後に〜多様性なくしては生き残れない

 生物たちは生き残る為に(敢えて弱者のふりをし)、オンリー1になれる居心地のいい場所を見つけ、結果的にナンバー1に君臨する。
 強い事は生き残る為の必要条件ではないし、生物にはものさしでは測れない様々な強さがある。つまり、(弱い事こそが、いや)人とは違う多様性こそが、今を生き抜く必要十分条件なのだ。

 だったら、強さは何の為にある?
 強さとはものさしで測った強度に過ぎない。その上、そのものさしに多様性が欠けてれば、それぞれに正確で最適な強度が測れる筈もない。
 つまり、環境に応じた柔らかな強さってものが、いや臨機応変な弱さが必要なのだろう。
 故に、弱さこそが多様性の核となり、弱者こそが生き延びる。強者とはものさしで測っただけの数値に過ぎないし、生き延びる上で必要十分な強さではない。むしろ、その強さは生きる上での弊害になる。
 つまり、弱者が多様性の中で生き延びる事よりも、(自らをナンバー1とほざく)強者が多様性の中で生き延びる事の方が、ずっと困難な筈だ。
 やがて、弱者の中でもオンリー1が強者の中でのナンバー1を食いつぶし、その弱者は多様性を拡散する。そして、その広大で複雑多岐な多様性という大海原の中で、弱者は優雅に強かさに生き延びる。

 ハーバード大学院では、”ライバルを蹴落とす”様に(いの一番に)叩き込まれるという。
 このボ○クラ大学は、雑草の持つ多様性と強かさを全く理解していない。
 しかし、(蹴落とされてもタダでは起きない)雑草魂を持つ弱者で覆い尽くされたら、エリートはエリートでなくなる。やがてエリートは弱者のエサになり、排泄物として再び雑草のエサになる。
 つまり、ライバルを蹴落とす前に多様性を理解する事が必要なのだが、やみくもにナンバー1を追い求める愚劣な人種に理解出来る筈もない。

 結局、彼らにあるのは、”人の上に立ちたい”という多様性を無視した稚弱な強欲である。
 しかし、そんな人種が生き延びれるほど、自然界の生態系は甘くない筈なんだが・・・