象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

今の時代にこそマイナス思考〜ポジティブ人生の百害とネガティブ人間のススメ

 SNSやインスタなんかを漠然と眺めてると、日本人の思考には如何にポジティブな空気で溢れてるかが理解できる。事実、真っ当な批判や批評も良しとしない空気が、現実世界よりも強く漂っている印象がSNSにはある。
 私なんかこの時期には、旧日本陸軍南京大虐殺や米軍による原爆投下やナチスドイツのアウシュビッツなど、ネガティブな話題をよく記事にするが、多くの日本人にはウケが良くないみたいだ。
 勿論、”悪い事ばかり考えても、未来は明るくならない”という平和ボンボンな農耕島民特有の幼稚な指摘もアリだが、こうしたネガティブなテーマに鋭く深く斬り込んでく姿勢は、人類の生存戦略としてみても時には必要だろう。勿論、ネガティブ思考もポジティブ思考も度が過ぎると弊害にはなるが・・・

 啓発本なんかでは”人生は本人の感じ方次第。明るく元気に前向きに・・”なんてフレーズが独り歩きするが、日常や現実をよーく観察すると、プラス思考で頑張った人で成功した人はどれだけいるのだろうか?むしろ、そういう人は少ない様な気がする。
 確かに、現状を肯定的に捉える事は、ポジティブに生きる為には必要な事だが、現実に存在するネガティブな感情を否定してしまう事にもなる。それに、そうしたネガティブな感情や思考こそが新たな発見や創造を生み、困難な問題を解き明かすのも事実である。
 これは、自分の周りで何か問題があると、それに触発されポジティブになる。つまり”自分を変える”事で対処しようとするので”社会やシステムを変える”との発想がなくなり、真の意味での問題解決にはなり得ないからだ。
 以下、「ポジティブ思考・・ヤバすぎる問題点」(DIAMONDonline)を参考にして主観を述べます。


ポジティブ心理学と”幸せの脅迫”

 一方、一芸で成功した起業家などが好む”他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来だけ”という痺れる様な言葉もあるが、自分の力で動かせるものには明らかに限界がある。一発屋が前向きなのもそのせいかもだが、あまりにも軽薄短小すぎる思考であり、その背後には”自分や他人に期待しても無駄であり、社会は変わらない”という致命的な諦めがある事にも留意する必要がある。
 つまり、ポジティブに生きる個々のあり方は否定すべきではないが、”ポジティブであるべきだ”という社会や上司の要請にバカ正直に応じる事で、結果的に社会構造を不可視化し、個人の責任に擦り付けてしまう。
 事実、自己啓発セミナーなどでは、”<笑顔を絶やさず、感謝を忘れず>心がけを変えれば状況は必ず好転する”などと教えるが、個人に問題を転嫁する事で、本当の問題が隠れてしまう。

 勿論、特定の組織や集団が持つ同調圧力ならば、回避する事は可能だが、”ポジティブ思考じゃないと”という自己内部に押し寄せる圧力は、日常や社会の至る所にも蔓延し、外部からも強制されるが故に、逃れる事が難しい。
 更に、就職試験や仕事で顧客と会う時など”ポジティブな人や体育会的な明るい人”が求められる傾向が強く、表層的な戦略ではそうかもだが、無理にポジティブである必要はどこにもない。つまり、人は仮面を被って強かに生き抜く社会的動物であり、ポジとネガを直面する問題に応じ、臨機応変に切り替える狡猾さも必要になる。
 つまり、個人の態度が無理にポジティブになっても、社会や集団が変わらなけれな根本的な問題は解決しないケースが殆どで、問題を提示する上でもネガティブな態度と思考は不可欠とも言える。 

 昨今では、”ハッピークラシー”という”幸せ(Happy)による支配(Cracy)”を意味する造語が注目されてるが、これは90年代末に創設された(”幸せの科学”との幸福論が主張する)ポジティブ心理学で、幸福を個人に押し付ける強迫観念でもある。
 「ハッピークラシー:幸せ願望に支配される日常」(2022)の著者・心理学者のE.カバナスと社会学者のE.イルーズは、その様な社会では、ポジティブな事は幸福になる為には不可欠で、怒りの様なネガティブな感情は悪だと見なす事で、”個人を自己啓発に向わせ、問題解決を自己内部に求めさせる”と警鐘を鳴らす。つまり、”幸せは個人の問題であり、社会構造の問題ではない”と決めつける、腐敗した現代資本主義社会の脅迫である。
 結果、”社会を変える事で問題を解決する”という本質的な視点が失われ、貧困や失業なども社会制度に問題があるではなく、個人の気持ちの持ち方次第だとして”全てはポジティブに捉えよう”となる。
 事実、”ハッピーな私になる”という眩いばかりのメッセージは、現代社会の至る所に散りばめられ、それがもたらす毒に我らは留意する必要がある。

 ハッピークラシー(幸せによる支配)が問題なのは、ポジティブな態度が専制的になり、”人々の不運の大部分と事実上の無力は自業自得だ”と言い放つ事で、更に問題なのが、こうした事は経験的・客観的な証拠に基づくとの”幸せの科学”のゴリ押し的な主張にある。
 逆境を強みに変える為に必要なメカニズムを備えるこの世界では、誰も不平を口にする事もできない。全ての責任を個人に押し付けるが故に、社会としての発展は望めない。だが、これと同じ様な世界がいまSNS上でも再現されようとしている。


ポジティブ思考の百害

 しかし、書店には幸せになる為の自己啓発本が数多く積まれている。米国で1952年に出版され、15カ国語に翻訳された「積極的考え方の力〜ポジティブ思考が人生を変える」は今でも根強い人気だ。事実、”プラス思考を身に付ければ誰でも幸せになれる”との考え方は、問題に対処するスキルを向上させ、心の健康を保つ手法として、学校や職場や軍隊などで広く採用されてきた。
 だが、プラス思考の弊害は心理学の学術誌などでも指摘され、心理学者らは何年も前から”ポジティブ心理学崇拝”の危険性、特に自尊心に及ぼす影響を研究。結果、ポジティブ思考により幸せになれる人もいるが、挫折感を覚え、鬱に陥る人もいる事が示された。
 以下、「ポジティブ思考信仰の危険な落とし穴」を参考に主観をまとめます。

 メンタルにおけるポジティブ心理学始まりは、1950年代にまで遡り、心理学者A.マズロー(米)が54年に著した「人間性の心理学〜モチベーションとパーソナリティ」の中でポジティブ心理学という言葉が初めて登場した。
 マズロー”心理学はポジティブな側面よりもネガティブな側面ばかりに光を当ててきたが、人間の潜在能力や美徳などには殆ど向けられず・・それは人間の暗く卑しい心理だ”と警鐘を鳴らす。
 更に”近年は企業や軍隊でもポジティブ心理学が採用され、その影響は大衆文化にまで及び、<ポジティブ思考>というシンプルな言葉で表現される様になる。以降、心理学者のM.セリグマンが考案したポジティブ心理学の下に、杜撰な研究が数多く発表され、その研究の大半が”楽観主義とポジティブ思考が幸せな人生をもたらす”と諭す。
 事実、簡略化されたポジティブ心理学は、人々の心に害を及ぼすのではないか?との懸念が近年高まっている。

 一方で、”常に前向きになる事を強要され、苦しい時でも笑ったり楽観的になれない人は駄目だという雰囲気がある。深い悲しみに陥ってもすぐに乗り越えるべきだと・・”と、心理学者B.ヘルドは言う。
 彼によれば、ポジティブ思考の強要は2段階で襲う。まず、心に痛みを抱えている自分が嫌になり、次にそこから前に進めず、プラスの側面に集中できない自分に罪悪感を覚える。
 事実、ポジティブ思考が裏目に出て、ネガティブ感情に陥り易いが、”人に好かれなきゃ”と思う程に鬱になる。

 一方で世の中には、ポジティブ思考よりもネガティブ思考、つまり”防衛的悲観主義が向いてる人が存在する。彼らは全てが悪い方に転ぶ可能性を考える事で、不安を緩和し、悪い結果を回避する。その一方で、ポジティブ思考を強要されると、潜在能力を発揮できなくなるが、米国人の25~30%が防衛的悲観主義に当たるという。
 それに、ポジティブ思考のもう1つの弊害は、”現実から目を逸らす”という<否認>にある。深刻な状況に陥ってるのは明らかなのに、全て上手く行くと信じ、問題の解決を図らずに、最悪の結果に至る。
 事実、「ポジティブ病の国〜アメリカ」(2010)の著者バーバラ.エーレンライクは、”08年の金融危機の責任の一端は人々が住宅ローンを払えなくなるといった悪いシナリオから目を背けた事にある”と指摘。

 結局、現代人が抱える複雑な問題を一気に解決して幸せをもたらす様な魔法の心理療法は存在しない。人生に挫折した時、ネガな感情を抱くのは当然であり、悪い事ではない。”いつも前向きな必要はないし、第一そんな事は不可能だ”とノレムは諭し、”前向きでいられないのは心に問題があるせいではなく、人間として様々な感情を持つのは当然の事だ”と論破する。
 以上、Newsweekからでした。


最後に〜ポジティブ病のアメリ

 ”ポジティブ病”との言葉もユニークだが、経済が低迷し、格差が広がりつつあるアメリカで、過ぎたポジティブ思考を強要されるアメリカ社会を痛快に批判するバーバラ女氏のポジティブな姿勢は清々しい。
 事実、ポジティブ病の原因を紐解くと、アメリカの歴史に突き当たる。ヨーロッパから新大陸であるアメリカに移り住んだ人々の心の支えはキリスト教であり、そのカルヴァン主義にあった。”予定説”で予め天国に行くか地獄に行くかが運命で決まってる為に、天国に行こうと必死で禁欲的に働いた。
 だが、こうした禁欲に耐えられるほど人は強くない。彼らは自らの怠け心などのネガティブな感情を徹底して排除したが、それは雇用者によって取り入れられた意向でもあった。

 一方で、米国は世界の抗うつ薬の市場の2/3を消費するが、ポジティブ思考が規範化したアメリカの病気に依る所も大きい。この”ポジティブ病がアメリカ経済を崩壊させる一因になった”とバーバラ女史は主張するが、ポジティブに憑かれた企業のリーダーが学問でなく、直感で企業の道を選択し、やがてリスクは無視され、楽観的な未来だけを予測した。そして、その結果がサブプライムローン破綻に繋がった。
 今のアメリカにポジティブ病が治る気配は殆どなく、逆にポジティブ病の深みに嵌まる。結果、ポジティブになる為の自己啓発が蔓延し、カルバン主義の過酷な部分は排除され、その代りにポジティブ思考を取り入れた科学的根拠の薄弱な”ポジティブ心理学”なるものに学生が集まる。
 確かに、”前向きに努力すれば道は開ける”というポジティブ思考の主張は自己充足的で魅力的にも映るが、外部圧力で言えば強迫観念に過ぎない。厳格すぎるキリスト教に耐えかね、知性を排除し、ポジティブに働く事で自分を内外から追い込む。その結果、違法薬物に頼り、自らを更に追い詰め、精神障害に至る。

 ある外国人が、”日本で明るく振舞う外人は、母国では負け組に属し、貧しい人が多い・・”とか語ってたのを思い出すが、確かに日本で大人し目の白人はインテリが多く、社会的地位も高い様な気がしなくもない。同じ様に、無理にポジティブに振る舞う日本人も成金や一発屋を含め、知能や社会的地位が低い様な気もする。
 特に、私のド田舎ではその傾向が強く、明るく振る舞う人やポジティブに行動する人は、ムラ社会での地位は比較的高い。勿論、”ポジティブがバカでネガティブが賢い”と決め付ける訳でもないが、現代の高度で複雑な時代になる程に、人間の思考は深く濃く慎重になる傾向にあるし、その必要もあろう。
 カルト教や新興宗教の信者らにやけに明るいのがいるが、ポジティブ信仰を強制的に植え付けられ、凶悪な殺戮行為を平気で犯すのも、こうした外部圧力によるポジティブ思考のなせる悪害だと考えると辻褄が合う。

 ともあれ、ポジティブ思考には百害しかないとみた方が、リスクヘッジの点でも正解なのかも知れない。そう言えば、プラス思考で有名だった故長嶋茂雄氏も晩年は脳の病気で苦しんだが、バーバラ氏が”ポジティブ病”に気づいたのは、本人が乳がんに罹患した事にあった。
 つまり、乳がんが与えた物は苦痛だけで、それはポジティブ病に他ならなかったのだ。
 人は真の意味での苦痛を味わった時、内外からもネガティブになれる。それは人として当然の事であり、リスクを排除する為の自然な自己防衛反応表現でもある。
 事実、我らホモサピエンスはそうやって生き延びてきたのだ。今更、”ポジティブに生きよ”と言っても、できる筈もない。