
2年続けて、高血圧症と判断された。
会社を辞めて以来、5度目の国保の健康診断だが、昨年10月の健診で産まれて初めて”高血圧”と診断され、血圧測定機を買って毎朝こまめに血圧を測り、1週間前には断酒を決行し、万全の体制で挑んだ今回の健康診断だった。だが、その結果は165mHと95mHと散々で、普段の血圧よりも上で40、下で30近くにまで跳ね上がった。
それに加え、脈拍が100を優に超え、まるで殺し屋に刃物を喉元に突きつけられた人質の如く、心臓がバクバクしていた。いくら”白衣高血症”とは言っても、ここまで開きがあると何の為の血圧測定なのか?開いた口が塞がらない。
確かに、60を過ぎても晩酌を続けてるせいか、下に関しては60台が当たり前だった若い頃と比べ、今では70を超え、多少は高血圧気味でもあった。それでも昨秋の健診以来、スクワットや踵落としを毎日朝夕やる事で、上は120台中盤で下は70台前半、脈拍は60台中盤で安定していた。
10月に入ると急に寒くなったせいか、上と下が其々130と80、脈拍も80を超える事もあったが、平均すればそんな数値を超える事は勿論なかった。ただ、”白衣高血圧”とはよく言ったもので、検診日の前の週は血圧や脈拍の浮き沈みがひどく、前日は上下(脈拍)が133と81(78)と上昇していたのだ。
運命の血圧測定
そして、26日の朝11時に行われた健康診断だが、私にとっては悪夢そのものだった。
因みに、国保の健診では(保険証を含め)受診票と受診券が必要になる。前者は健診の申込後に送られてくるが、後者は5月頃に送られてくるというが、ここ5年間で私は1度も手にした事がない。受付では毎回そこを突っ込まれるが、私はその点を少し煩く言った。勿論、血圧を上げる程の事まではなかった様に思う。
更に、持参した保険証が期限を切れてたのを指摘され、”調べりゃ判る事だろう”と、少しカッとなった。国保の健診はこうしたイザコザがあるから嫌になるし、ストレスが溜まる。
そうこう思いながら、血圧が正常な値を示す事だけに集中した。最初は身長と体重と胴回りを測るが、169cmで57.7kg、75cmとメタボとは程遠い。自己記入の問診票には病歴も入院歴もなく健康そのものである。勿論、白衣高血圧症を除いてだが・・
さてと運命の血圧測定だが、当時の朝8時に測った血圧(脈拍)では131.3と74.3(75)と、上と脈拍が少し高いだけで、それ以外は正常だった。いや、少なくともその筈だった。小さく深呼吸し、血圧測定台の上に腕を置くと、心臓の鼓動がドクンドクンと派手に鳴り始める。何だか嫌な予感がした・・が、今朝測った血圧は正常そのものだったから不安はないと、自分に言い聞かせた。
だが目の前の血圧計は、”165、95(108)”と異常な数値を示している。
”なんてこった。下の95は百歩下がっても、上の165と脈拍の108はどう説明すればいい?”
かつて、オリンピックLヘビー級金メダリストのモハマド・アリがヘビー級世界王者のソニー・リスモンに挑戦した時、試合直前の血圧が180にまで上昇したが、時間を暫くおいて測り直したら通常の値に落ちたという。今の私は、この状態とよく似ている。その直後、3度測り直したが、数値は殆ど変わらなかった。
すぐに専門医がやってきて、”気にせんほうがええよ。血圧以外は全くの健康なんだから・・”と慰めてくれたが、”毎朝血圧を測る事だけは忘れんように”と釘を差す。
因みに、家庭内測定値に5を足した値が健診時の血圧になるとされるが、私の場合は30以上を足さないとアカンらしい。
全く、健康誤診断となった今回だが、その日は一日中ブルーだった事は想像に易くない。但し、翌朝の血圧(脈拍)は127.7と74.7(81.3)で、翌々日は123.3と71.0(71.7)とやや高めの脈拍以外はほぼ普段と同じだった。
こういう事も含め、健康診断なのかもだが、63歳になるまで一度も病気になった事がない私には、健康診断こそが最悪の鬼門(病気)なのかもしれない。つまり、たかが健康診断されど健康誤診断なのだ。
モントリオールの悲劇
健康診断で落ち込んでた時、アマプラが配信する「レスリング・ウィズ・シャドウズ」(1998)というプロレス・ドキュメタリーが目に入る。
カナダの名門プロレス一家に生まれ、人生の全てをプロレスに捧げてきたスーパースター、ブレット・ハートの記録映画だが、世界最大のプロレス団体WWF(現WWE)王者に長く君臨して頂点を極めるも、視聴率低下により、最高権力者ビンス・マクマホンから”悪役”への路線変更を余儀なくされる。やがて、ビンスとの長年の信頼関係は悪化し、ブレットはライバル団体WCWへの電撃移籍を決意。故郷カナダでWWF人生のラストを飾る運命の日、プロレス史上最も悪名高き”モントリオールの悲劇”が待ち受けていた・・
因みに、この映画で描かれてるのは90年代のヒールが主役となりつつあったアメリカン・プロレスであり、その代表格がWWFからWCWへ移籍したハルク・ホーガンである。
プロレスは所詮ショーである。
ベビーフェイス(善人)とヒール(悪人)という俳優(レスラー)がいて、ブッカーにより演出が組まれ、そこに(70~80年代にはなかった)抗争アングルが仕掛けられる。
ホーガンを中心としたnWoの誕生によりヒールが人気となり、WCWは大成功を治めた。ライバルのWWFも方向転換し、スティーブ・オースチンをヒールとして人気を博すが、ブレットはオースチンと抗争を繰り広げるも、既に正統派レスラーに限界を感じてた彼は、高額契約を提示したWCWへの移籍を断念。止む無くビンスの要求を飲み、自身もヒールとなる決意を固める。
だがこれが裏目に出て、ヒール転向後は母国カナダを愛する愛国者として、それまで応援していたアメリカのファンたちを罵倒し続けた。一方、アメリカのファンを罵倒するアングルやブックはビンスが考えついた事で、ファンを長年愛し続けてきたブレットは、心底傷つき、やがて両者の関係は泥沼化する。
その後、ビンスは掌を返す様にブレットには引退を宣告し、長期契約を白紙に戻そうとした。一方で、ブレッドは王者のままWCWに移籍しようするが、ビンスは王座保持での移籍を許さない。
ここら辺の両者の駆け引きは興味深く、ブレッドは現役レスラーらしく契約を逆手に取ってビンスを追い詰めるが、ビンスは権力者らしくあの手この手を使い、ブレッドを根絶やしにしようとする。両者は最後の最後まで話し合った結果、両チームの乱入による無効試合で王座移動はなく、翌日に王座返上という形になる筈だったが、ビンスはまんまとブレッドを嵌め、理不尽な形でタイトルを奪われる。
ブチ切れたブレッドはビンスに殴りかかり、最悪の結末で運命の試合を終えたが、これが”モントリオールの悲劇”の全てである。
因みに、ビンス・マクマホンの心情を描いた「WWEの独裁者」(2004)には、この事件を知ったアンダーテイカーがビンスに憤慨し、彼が閉じこもる控え室のドアを蹴り続けた事が書かれている。
試合終了後、ブレット夫人は夫を裏切ったトリプルHらをバックステージに立たせ、”貴方もいつか報いを受けるわよ”と詰め寄った。トリプルHは終始俯向いたままだったが、この殺伐とした空気は、この映画の全てを締め括るに相応しいシーンだった様に思う。
最後に〜人はいつかは死ぬ
事件後、ブレットはハート一家のメンバーと共にWCWに移籍するが、目覚ましい活躍をする事もなく引退。最終的にはだが、WCWはWWFに買収され、崩壊を迎えたが、1999年には末弟のオーエン・ハートがWWFの興行中に事故死した事で、彼はビンスを強く非難。しかし、ブレットは自分の過去が埋もれるのを防ぐ為、2006年にビンスと一時的に和解をし、同年のHallOfFameでは見事殿堂入りを果たす。
確かに、マクマホンJrになり、WWFはプロレスの王道を外れ、エンタメに走り過ぎた。一方、カナダのハート一族らのスタンピード・レスリングなどの小規模団体を買い漁り、プロレスの巨大ビジネスを作り上げた事は認めるが、現場の選手らは理不尽なキャラや演技をさせられ、過密スケジュールに耐える為にステロイドやドラッグを常用し、気がつけばWWEというプロレス劇団に成り下がっていく。
勿論、全ての元凶は”金の亡者”ビンスにあるのだが、そのお金に振り回され続けるレスラーの運命というのも悲しいものがある。
そういう意味では、我ら庶民も健康診断の結果というものに振り回され続ける。勿論、健康というものが単なるデータだけで全てが判る筈もないが、一応の目安にはなる。若い頃はアホ臭と思って受けてたのが、中高年となると妙に深刻に受け止めてしまう。
高血圧で死のうが、ガンで死のうが、事故で死のうが、自殺しようが、死ぬ事に何ら変わりはなく、それに人はいつかは死ぬ。
医者は、健康診断が気休めに過ぎない事を理屈で判っている。具合が悪ければ、安静にする事が最善の策だと言う事も知り尽くしてるし、薬物治療や食事療法は2次的なものに過ぎない事も・・だが、歳を取り自己免疫が落ちれば、そういうものに縋る必要も出てくる。
つまり、リスクも病気も我らが知らず内に忍び込んでくる。だから怖いのだ。
私が今まで一度も病気に罹った事がないのは、単に病院が嫌だったからだ。入院や薬物や治療とは無縁だったから、病気にならなかった。ただそれだけである。