
前々回の「前半」では、ピラミッドの円周率の謎・黄金比の謎・天文学上の謎・土木工事の謎と、4つの謎について大まかに紹介し、前回「中盤」では、ピラミッド建造の”土木工事の謎”と”円周率の謎”について説明したが、注目すべきは勾配の緩さ加減を示す”セケド”と”エジプト分数”(=常に分母が1になる単位分数)に慣れれば、三角法を使う事で正確なピラミッドが作れる事が判った。
我ら現代人でも三角関数を苦手とする人は多い筈ですが、古代エジプト人はクイズみたいな感覚で三角法に親しんでいた。勿論、2.5tもの巨石を切ったり運んだりするのは、クレーンとか電動ノコなどない時代に、相当な労力を必要とした筈ですが、そうした貴重な労働者にはそれなりの対価を与え、王様への忠誠を計ったものと思われる。
そこで、残る2つの謎(黄金比と天文学)を解き明かしたいと思います。がその前に、ピラミッドの角度が何故、52度なのか?それになぜ、セケド5;1/2(=5+1/2)やセケド5;1/4(=5+1/4)である必要があったのか?を検証したいと思う。
前回同様、「ピラミッドの謎(Cp6)」(Mathematica)」から大まかに紹介する。
ピラミッドの角度の謎
[下図1]で判る様に、エジプトのピラミッドはセケド5;1/2と5;1/4とに分かれている。
確かに、これらの数値は切りのいい数ではない。それに、なぜ切りのいいセケド5を選ばなかったのか?事実、セケド5;1/2、セケド5;1/4、セケド5は角度に直すと、其々約52度、53度、54度と、見た目には殆ど変わらない。
つまり、古代エジプト人は見た目の美しさではなく、細かな数値に拘っていたのだ。一方で彼らは、自然はマアト(秩序)により支配され、数には神秘的な力があると信じていた。故に、セケドを5;1/2や5;1/4としたのは、何か神秘的な意味がある筈だ。
そこで、「前回」で示した様に”セケドを5;1/2にしたから<円周率の謎>が成立した”との推測も出来るが、”なぜ、セケドを5;1/2としたのか?”という謎が残る。故に、”<円周率の謎>が成立する様にピラミッドを作ったら、偶々セケドが5;1/2になった”という仮説から話を進めるが、これを[仮説1]とする。
古代エジプトで、ピラミッドの建造が始まったのは第3王朝からで、本格的な大ピラミッドが作られるたのは、クフ王の父・第4王朝の初代の王スネフェルからだ。彼は巨大な権力を持ち、ピラミッドを3つも作ったが、ピラミッドの傾斜角は52度が理想だと考えた。
実際、最初のピラミッドは底辺が189m、高さ101mで、途中までの勾配は54度でそれより上は43度。途中で勾配が変わり、”屈折ピラミッド”と呼ばれた。次が”赤のピラミッド”で、底辺219mで高さ99m、勾配は43度。だが、理想の角度52度とは大きくかけ離れてる。最後が、底辺144m高さ92m勾配52度の”崩れピラミッド”である。
でも、なぜ52度に拘ったのか?
実は王スネフェルは、聖都ヘリオポリスにあった聖石”ベンベン”を手本としたとされる。が、研究者らはこれを隕石だとし、空から落ちてくる隕石を”太陽の分身”と見て、この形状が”先の尖った円錐形”をしていたと推測。故に、”この円錐形がピラミッドのモデルになった”と見る人もいる。
因みに、円錐形で最も安定した美しい形は、高さが底円の半径に等しい円錐形とされ、ここでは”正円錐”と呼ぶが、”ピラミッドがモデルとした形は正円錐であった”と推測する。
確かに、日本でも円錐形の山は信仰の対象であったし、エジプト人は”原初の丘”に円錐形をイメージした。でも何故、正円錐なのか?
そこで、球を半分に割った半球を考えると、半球の高さAH=hは底面の円の半径BHと等しくなるが、エジプト人はこの半球を天球と見た。更に、この天頂Aを頂点とし、底面をHを中心とした円の円錐は、AH=BHを満たす正円錐となり、同様に、AH=BHを満たす様な(底面が正方形の)正四角錐が出来上がる(下図2)。
但し、半球と正円錐の底面の円周は共に2πhとなり、正四角錐の底面の全周も底辺をaとすれば、2πh=4aとなる事が判る。
勿論、正方形や円などは自然界には存在せず、こうした図形は人間の叡智が造り出した創造である。例えば、日本の古墳は前方後円墳、円墳、方墳などの形をしてるが、すぐに草や木が生えて自然と一体化する。つまり、日本人は自然と対立しようとは考えなかったのだろう。
正四角錐型ピラミッドの謎
一方、エジプトのピラミッドは、かつて真っ白な化粧石に覆われ白く輝いてたとされるが、王はこれに完全なる秩序(マアト)を見てとり、しばし理不尽な洪水や旱魃を起こす自然をコントロールしようとした。
古代エジプトの人々は、神話に登場するホルス(天空の神)の化身である王に自然を支配する力があると信じ、王は死んでも北天の星となり、マアトが行き渡る。つまり、民衆が安心して暮らせる事を願い、王はピラミッドを造ったと考えられる。
勿論、石材だけで円錐形の構造物を作るのは困難で、正円錐が正四角錐型のピラミッドにどうやって変わったのか?これはエジプト人の幾何学的嗜好や美意識もあろうが、ピラミッドの建設により、ファラオが自然界の摂理を支配してる事を示したかったのではないか。つまり、ピラミッドが正確に東西南北を向き、底面が正確な正方形をし、底面の周長が高さを半径とする円周に等しい事など、完全なる秩序(マアト)の象徴として必要だったのではないか。
一方で、正円錐形をピラミッド型に置き換えるには、底面の円を正方形に直す必要があるが、円を等価な正方形に変形する事は”円の正方化問題”と呼ばれ、面積に関する問題と長さに関する問題の2つがある。
因みに、”円と同じ面積を持つ正方形を作れ”という「円の正方化問題1」は、ギリシアの3大難問の1つで、定規とコンパスだけで作図をする幾何学の難題であり、数値を解く問題ではない。事実、古代エジプト人は、”直径Rの円の面積の近似値が1辺が8R/9の正方形の面積である”事を計算で解いた事が知られている。
故に、ピラミッドの設計者は正円錐の底面の円を周長の等しい正方形に変換した。言い換えると、(円と同じ長さの周を持つ正方形を作る)「円の正方化問題2」を解いていたとして第2の仮説を立て、これを[仮説2]とする。
例えば、古代エジプト人は”直径Rの円周を22R/7で計算してた”と仮定すると、(「前々回」で述べた様に)円周率π≒22/7は古代ギリシアの大数学者アルキメデスが精緻な理論と膨大な計算を駆使して得た結果であり、数学史に残る金字塔とも言える。一方で、これまで古代エジプト人が自力で円周率≒22/7を得たとは誰もが露にも思わなかったし、もし彼らがこの神秘な数22/7を知ってたとすれば、一昔前なら数学の神か?宇宙人か?超古代文明か?となってたであろう。
つまり、アルキメデスが苦労をして得た22/7を、いや「円の正方化」という難題をエジプト人はどの様にして得たのだろうか?
実は、呆気ない程簡単に答えが出る。
例えば、丸太の周囲の長さを知りたい時、断面の直径を測って計算するより、直接紐を巻きつけ、その紐の長さを測ればよい。更に、”1キュビット(腕尺)=7パーム(掌尺)”という長さの単位の幸運な偶然があったが(下図3)、これは肘から指先までの長さが掌の幅と一致する事から定められ、円周率πとは何の関係もない。
もし仮に、直径が1腕尺の丸太が与えられたとし、この丸太の1周を実際に計算すると、1腕尺=7掌尺より、7×π=21.991⋯≒22掌尺となる。そこで、この結果を掌尺ではなくcmで考えると、直径7cmの円をコンパスで書き、円周に沿って糸を置き円周の長さを測れば、円周は21.991cmで、22cmとの差は僅か0.009cm =0.09mm。つまり、22cmに対して誤差は僅か0.1mmとなる。
実際、この誤差は定規で測れないし、ましてや古代エジプトには現代の様に精密な定規はない。つまり、直径1キュビットの円を描き、その周の長さを測ったら偶然にも”ぴったり22パームになった”のだ。これは、古代エジプトの長さの単位が10進法ではなかった事が幸いし、もし10進法だと、直径10cmの円の円周は31.4cmとなり、30cmと見積もると端数(誤差)が1.4cmにもなる。
従って、[仮説2]の根拠は”7パーム=1キュビット”という古代エジプトの単位系と、”7π≒21.99”と殆ど整数値22に近いという偶然の産物にあったのだ。
角度52°とセケド5;1/2の謎
他方、「前々回」で述べた”一輪車を使って測った説”を考えると、クフ王のピラミッドの底辺230mは”半径1キュビット(52.4cm)の車輪を70回転させて測った”となる。そこで、古代エジプト人が”円周率の謎”(底面の周長=半径hの円周2πh)を意識し、ピラミッドを建設したのか?を考察する。
まずは、円周率の謎を考慮しなかったとすると、ピラミッドの底辺の計測に車輪を使えば、高さやセケドが何であれ、高さと底辺の比にπが必ず入る。例えば、クフ王のピラミッドの底辺の場合、なぜ車輪の回転数は70回なのか?事実60回や50回でもいい筈だ。更に、[下図2]に現れる殆どのピラミッドのセケドが5;1/2か、5;1/4になるかの理由が付かない。
故に、円周率の謎を考慮してピラミッドを設計したと仮定すると、古代エジプト人には、”クフ王の大ピラミッドの高さh(146.6m)=280腕尺、大ピラミッドの底辺a(115m)=440腕尺、直径2h=2×280腕尺の円周=4×440腕尺”が既に分かってた事になる。つまり、彼らは”ピラミッドを周長4aが高さhを半径とする円の円周2hπとなる”様に設計していたのである。
更には、古代エジプト人の数学の能力から判断し、この事から直ぐに”円周/直径=22/7≒π”に気付いた筈だが、これは[仮説2]に他ならない。また、エジプト人が22/7に気づいたのは”1キュビット=7パームとの単位が幸いした”と述べたが、彼らはもっと賢かった。事実、ピラミッド時代のキュビット(腕尺)の単位には”王家”と”標準”の2種類があり、正確には、王家の腕尺=52.375cm、標準腕尺=44.893cm、掌尺=7.48cmとなる。
因みに、今まで使ってきたキュビットは王家の腕尺だが、なぜピラミッドの建設には標準ではなく王家の腕尺を使ったのか?そこで、王家腕尺/7と標準腕尺/6として計算すると、52.375/7=7.48、44.893/6=7.48と、共に1掌尺(パーム)となる。故に、王家腕尺と標準腕尺の違いは、7掌尺と6掌尺の違いだけで標準腕尺を用いても何ら問題はないが、王家の腕尺を用いたのは、”直径1キュビットの円周=22パーム”という美しい公式を成立させる為だったのだろう。
先述の様に、ピラミッドが作られ始めたのは第3王朝の王ジェセルからで、その宰相であり、神官であったイムヘテプが神の啓示を受け、ピラミッドとそれを取り巻く祭殿を考案したとされる。後世、イムヘテプは希代の大魔術師にして数学者、医学の父として敬われ、やがて神格化された。その後、ギリシア人がエジプトを支配する様になると、ギリシア人は彼をギリシア神話の医神アスクレピオスと同一視する。イムヘテプが創ったのは真正ピラミッドの前の階段ピラミッドだが、”ピラミッドの基本設計はイムヘテプが作った”と伝承や神話にある。その後、第3王朝の(クフ王の父)スネフェルは3つの大ピラミッドを造ったが、最初の2つは角度が理想とする52°ではなかった。
但し、52°との角度は(既述の様に)ヘリオポリスの神殿にあったベンベン石という秘宝、又は”神殿に祀られてた円錐形の隕石をモデルにしたのでは”とされていた。勿論、古代エジプトでは円周360°という現代の角度の単位は使わず、セケドという勾配の緩さの尺度を使った。事実、52°はセケド5;1/2に当たり、実際のベンベン石とか隕石の角度とは2度や3度の誤差があるから、セケド5でもいい筈だ。
だが、スネフェル王は52°ではなく、セケド5;1/2に拘った。なぜなら、セケド5;1/2は”円周率πの謎”つまり、”円周/直径=22/7=π”の[仮説2]を満たし、”円周率の謎が成立する様にピラミッドを作ったら、セケドが5;1/2になった”という[仮説1]をも満たす。
以上より、ピラミッドの”円周率の謎”が数学的にも証明された事になる。
次回「その4」では、3番目の謎である”黄金比”を検証すると同時に、ピラミッドのセケドが5;1/2から5;1/4に変わった理由について考えます。
