象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

強者どもの数学史(その6)〜アーベルの楕円関数論(後半)

 前回「その5」では、「数学史のすすめ〜原点未読の愉しみ」(高瀬正仁著)のアーベルの関数論(第6章)を中心に紹介しましたが、オイラーからガウス、そしてアーベルとヤコビ、更にアイゼンシュタインやワイエルシュトラスと続き、締めはリーマンの”アーベル関数論”として継承された楕円関数論を抜きにして、現代の数学史を語る事は出来ない様に思える。というのも、私が関数論や解析学を好きなだけの事だが、数学史はアーベルの代数方程式論と楕円関数論をその折返しと見て、その山頂から眺めれば、プラトンやアリストテレス、ユークリッドを起源とする古代ギリシャの数学や、その後のルネサンス期のイタリアの数学に端を発する近代西欧数学史が視野に入る。

 その後、デカルトやフェルマーやオイラーと言った数論の巨人を生み出し、更にガウスはそれら数論史の上に君臨したが、そのガウスの楕円関数論の夢を凌駕したのが若きアーベルであり、同世代のヤコビと共に楕円関数論を構築する。そのアーベルの意志とヤコビの逆問題を受け継いだのがリーマンであり、アーベル関数論を通じ、その主要テーマである複素1変数関数論は、岡潔の多変数函数論に引き継がれていく。


ガウスとドイツの数論

 一方、ガウスの数論で見れば、平方剰余相互法則の発見から複素数(ガウス整数)の必要性を見出し、4次剰余の理論を構築し、数域の拡大へと進展。ヒルベルトを経由して高木貞治の類体論へと花を咲かせた。また関数論で言えば、デカルトの幾何学に始まり、オイラーによりその3種の概念が確立。その中の代数関数論はディリクレやフーリエらにより継承され、リーマンの複素関数論へと結びつき、現在の積分論へと昇華した所に、数学史の底の深さを窺い知る事ができる。

 ガウスは若干17歳の時に、平方剰余相互法則を発見(証明)し、数論の探索へと傾倒。平方剰余ならオイラーが既に発見してたが、ガウスは高次の冪剰余相互法則の存在を確信していた。ガウスの数論は代数的整数論とも呼ばれ、数学の世界に虚数(複素数)が解き放たれた瞬間でしたが、ガウスは4次剰余の相互法則を求める際、整数を複素数域へ広げる事の必要性を求め、この”ガウス整数”の創意は数学史における重大な転換点となる。因みに、ガウス整数(ガウス数体)はQ(√(−1))で表され、代数的整数論の始まりとされる。つまり、通常の整数(有理数域)では狭すぎて複素数域に拡張する事で、高次の剰余相互法則を射程内に入れ、虚数の魔力が数論の世界に初めて登場した出来事だった。
 例えば、ガウス数体を作る虚数√(−1)は1の4乗根(x⁴=1の解)だが、4次を超えた次数nの相互法則を求めるには、1のn乗根ζₙ=e^(2πi)を有理数体に添加して生成される次数nの円分体Q(ζₙ)を拡大した数域に移行する必要がある。そこで、クンマーはガウスの発見を拡張させ、n次の円分体Q(ζₙ)にてn次の相互法則を究明し、高次の相互法則の発見と証明に成功した。つまり、ガウスの数論には今日の代数的整数論の根幹が出揃ってると言える。
 但し、この証明はnが正則な場合で成立し、円分体が非正則な時はクンマー拡大が不分岐となり、証明不可能となる。ヒルベルトは、この難関を不分岐で特殊な類体を提案する事で切り抜け、それを引き継いだ高木貞治は分岐する類体を提案し、その基本定理の発見に繋げた。つまり、ドイツの数論は17歳のガウスに始まり、約130年に及ぶ歳月を経て成熟を迎える事となる。
 更に興味深いのは、円分体の元となったガウスの円周等分方程式に沿えば、アーベル方程式の一般化である巡回方程式に到達し、代数方程式論を展開できる。アーベルはガウスの円周等分問題と同じく、楕円関数の等分理論を解明する為にこの概念を導入したが、「不可能の証明」を解く重要な起点となる。

 この代数方程式論は、アーベルの「不可能の証明」と「ガロア理論」で一件落着となりがちだが、実はその延長上にクロネッカーの「青春の夢」という未開発の領域が待ち構えていた。”有理整係数を持つアーベル方程式は円周等分方程式だ”との彼の主張は根の形状を知る事こそが代数方程式の属性を知る事であり「アーベル方程式の構成問題」とも呼ばれ、”アーベル拡大は円分体で汲み尽くせる”とも言える。
 一方、円分方程式の根はf(z)=eᶻの特殊値より、複素指数関数と有理数体との密な関係が明示され、複素解析関数論の熟成が進み、ヒルベルトの12問題の原型となる。例えば、Q(√(-1))に係数を持つアーベル方程式はレムニスケート曲線の等分方程式となるが、ヒルベルトは”ガウス数体のアーベル拡大はレムニスケート関数の特殊値により生成される”とし、高木貞治は学位論文でこれを証明した。
 この様に、代数方程式論は深い所で数論と結びつき、ガウスは複素数域にて4次剰余相互法則を、クロネッカーはアーベル方程式の実態を模索し、類体の理論が生まれた。
 こうした数学史の絶え間なく変容を重ねる情景の多彩さには、我ながら濃密な贅沢と感動を感じずにはいられない。

 前回を大まかに纏めた所で、今日は第2章「アーベルの代数方程式と楕円関数論」に入ります。


ガウスとアーベル

 ここでの大まかな流れとしては、ガウスの「数論(アリトメチカ)研究」とアーベルの「楕円関数研究」の対比から始まり、代数関数を超越する関数としての楕円関数論の議論や指数関数の逆関数としての対数積分と円積分の逆関数としての余弦関数、楕円積分の逆関数としての楕円関数の発見。更には, アーベルの楕円関数論の起源となったオイラーの変数分離型の偏微分方程式の解法に、楕円関数論の2本の柱である変換理論等分理論と続きます。
 また、アーベルの代数方程式論で言えば、ガウスの円周等分方程式が起点となり、アーベルは巡回方程式とアーベル方程式を取り出した。根の表示式を決定する事で代数的可解性を確信し、それを否定する「不可能の証明」に成功しました。

 まず、アーベルの楕円関数論の泉の1つは、ファニャノ(伊)によるレムニスケート曲線の等分理論があり、2つ目の泉はオイラーに依る変数分離型微分方程式の代数的積分の探索である。また、ガウスの著作「アリトメチカ研究」とアーベルの論文「楕円関数論」は数論と楕円関数論の鍵となる作品である。
 例えば、高木貞治氏の「近世数学史談」は全部で23個の章で構成され、そのうちガウスが9個でアーベルが6個と、2人で15個もの章を占有してる事から、高木氏は近世数学史の始まりを、明確にガウスとアーベルに見てる事が確認できる。つまり、アーベルを読む事は現代数学史の流れに棹(さお)をさす事であり、アーベル以前に理解が届かなければ、アーベルは理解できない。つまり、歴史を理解する鍵も歴史なのである。

 例えば、アーベルの「楕円関数研究」の書き出しには”長い間、幾何学者たちの注意を引いた超越関数は対数関数、指数関数、円関数(三角関数)のみであった。その他の2,3の超越関数の考察が始まったのはごく最近の事で・・数学の様々な分野の応用の為に、楕円関数と名付けられる関数を区別する必要がある”とある。
 まず”超越関数”とは”代数関数ではない関数”の事で、数学に関数の概念を最初に導入したのはオイラーだが、関数を代数関数と超越関数に二分したのもオイラーであった。一方、関数概念の導入は曲線を理解する為であり、曲線の解析的源泉を求めようとした所にオイラーの真意があるが、当時は”曲線の理論”が既に存在し、オイラーはそこから関数の概念を取り出した。

 その曲線の理論の始まりはデカルトの幾何学に端を発し、彼は古代ギリシャ数学における幾何の作図問題を見て、その簡単な作図法を提示したが、彼は代数学の力を使い、作図問題を代数方程式の解法に帰着させた。一方、デカルトに先立ち、16世紀半ばのイタリアの代数学が、3次と4次の代数方程式を解き明かした事もデカルトの着想を支えた事を忘れてはならない。
 デカルトは”幾何学にて受入れられる曲線とは何か?”と自らに問い、ある種の曲線の作る範疇を指定して応えたが、これを”代数曲線”と呼んだのは後のライプニッツであり、超越曲線との呼称も彼に由来する。ただ、デカルトは超越曲線を除外したが、ライプニッツは代数的ではない超越曲線も考察した。
 この様な歴史を背景にし、アーベルの言う”超越関数”の意味が明らかになるが、超越関数としてアーベルは、対数関数・指数関数・円関数(三角関数)の3つを挙げたが、一般に代数関数を積分すると夥(おび)しい種類の超越関数が現れる事は、微積分の黎明期にいたライプニッツも既に知っていた。
 事実、(「前回」で述べた様に)指数関数は対数積分(対数関数)の逆関数であり、正弦関数は円積分(円の弧長積分)の逆関数として認識されるが、対数積分も円積分も代数関数の積分で、即ちアーベル積分のごく簡単な事例となる。が故に、それら(の逆関数)もまた超越関数であり、先の3種の超越関数に、この様な特殊の超越関数を加えようとした所に、アーベルの数学的意図がある。


円関数と指数関数と加法定理

 もし、曲線の弧長を調べる理論が確立されなければ、”円(の弧長)積分”表示は考えられなかった筈だが、その理論はライプニッツとベルヌーイ兄弟により構築された積分の事をさす。例えば(今で言う)対数関数は双曲線の面積(logx=∫dx/x)として了解され、”対数積分”と呼ぶに相応しい。つまり、ライプニッツ、ベルヌーイ、オイラーらの微積分の創始者の目前にあったのは双曲線や円という曲線で、それらの面積や弧長を積分の理論により表示する事で、対数積分や円積分が現れた。
 特に円積分は逆正弦関数となるから、アーベルは逆余弦関数や逆正接関数もその仲間に加え、”円関数”と呼んだのだろう。
 かつて、オイラーにより対数は対数関数となり、正弦は正弦関数となったが、その際に注目したのは”簡単な関数の積分はごく簡単な超越関数になる”との事実である。ここで言う”簡単な関数”とは、対数積分や円積分に見るごく単純な有理関数や代数関数を指すが、ライプニッツやベルヌーイ兄弟により微積分の理論が構築され、有理関数の積分は対数関数に、代数関数の積分は逆三角関数に遭遇する。やがては正体不明の超越関数が大量に出現する訳だが、オイラーが直面したのはこの様な状況にあった。

 今日では、代数関数の積分は”アーベル積分”と呼ばれるが、なぜオイラーは代数関数に着目し、その積分を考えたのか?
 それは、弧長や面積の計算する上で”逆接線法”という、微分計算とは逆向きの計算方法が発見された事にある。一方で、三角関数の加法定理は微積分の成立以前の三角法の時代からよく知られてたが、それを以下の様に積分のまま書き出せば、円積分の加法定理を得る。
 まず、単位円の座標(x,y)=(cosθ,sinθ)で表し、y=sinθをθで微分し、dy/dθ=cosθ=√(1−sin²θ)=√(1−y²)と変形。ここでθをyの逆関数と考え、dθ=dy/√(1−y²)の両辺を積分してθ(y)=∫dy/(1−y²)を得る。
 これは中心角yの円弧の長さを表し、円積分(弧長積分)y=∫dx/(1−x²)の逆関数はx=sinyとなる事が判る。そこで、円積分の加法定理を示すが、3つのα=∫dx/(1−x²)、β=∫dy/(1−y²)、γ=∫dz/(1−z²)を考えると、3つの変数x,y,zがある一定の代数的関係で結ばれてる時、α+β=γが成立するというのが加法定理である。
 事実、α,β,γの逆関数はそれぞれx=sinα,y=sinβ,z=sinγであるから、周知の三角関数の加法定理から、z=sin(α+β)=sinαcosβ+cosαsinβ=x√(1−y²)+y√(1−x²)という円積分の加法定理を得る。
 因みに(ガウスがした様に)、双曲線1/xで囲まれる面積を表す積分:∫[1,x]dx/xを作ると、超越関数である対数積分y=logxを得るが、一般には対数関数と呼ばれ、log(xy)=logx+logyの公式から、α=∫[1,x]dx/x、β=∫[1,x]dx/x、γ=∫[1,x]dx/xとおくと、3つの変数x,y,zの間にz=xyとの関係式を得る時にα+β=γが成立し、対数積分の加法定理を得る。

 この様に、対数関数は対数積分として、逆正弦関数は円積分として把握され、積分の形に表示すれば、両者共に加法定理が成立する事は注目に値する。また、対数積分や円積分を超えて代数関数の積分を作ると大量の超越関数が生成されるが、無秩序な超越関数の世界では僅か対数関数と指数関数と円関数だけに加法定理が認められるに過ぎない。故に、アーベルは”長い間、幾何学者たちの注意を引いた超越関数は対数関数、指数関数、円関数のみであった”と明言したのだ。
 アーベルは更に”ごく最近に始まった・・楕円関数と呼ぶ超越関数を区別しなければならない”と付け加え、”楕円関数”の1語が登場する訳だが、アーベルの言う楕円関数は”楕円積分”を指し、超越関数への注目が代数関数の積分に端を発してる事にも留意したい。


楕円関数の発見と超越関数の世界

 他方、楕円積分を第1種、第2種、第3種と区分けしたのはルジャンドルで、それら楕円積分を”楕円的超越物”と呼んで”楕円関数”と提案したが、ヤコビは”第1種楕円積分の逆関数こそが楕円関数に相応しい”として自著(1829)の中で、その逆関数を”楕円関数”と呼ぶ様になる。但し、第1種楕円積分の逆関数に最初に着目したのはアーベルだが(ヤコビもそれに追随したが)この関数に特別な呼称を与える事はせず、時折”第1種関数”と呼ぶに過ぎなかった。
 因みに、楕円関数と楕円積分という呼称だが、アーベルの「楕円関数研究」の楕円関数は楕円積分の事で、リーマンの「アーベル関数の基礎」のアーベル関数とはアーベル積分(代数関数の積分)の事を言う。

 後でも述べるが、オイラーは「楕円積分の加法定理」を発見したが、それに先立って対数関数と円関数(円積分)の加法定理も知っていた。だが奇妙な事に、加法定理の一般化を目指した訳でもなく、オイラーが目指したのは微分方程式の積分を求める事だったが、アーベルは、”楕円関数を最初に考えようとしたのはオイラーで、その契機となったのがある特定な形の変数分離型微分方程式の代数的積分の探索だった”と簡潔に指摘した。
 では、楕円関数論の入口に微分方程式論が横たわってるとは、どういう事なのか?
 因みに変数分離型の微分方程式とは、変数xのみの微分式と変数yのみの微分式が切り離された方程式で、2つの微分dx,dyが単独で現れるが、アーベルの楕円関数の最初のアイデアとなる。
 例えば、変数分離方程式:dx/√(α+βx+γx²+δx³+εx⁴)+dy/√(α+βy+γy²+δy³+εy⁴)=0が代数的に積分可能である事はオイラーにより与えられたが、この方程式は”積分”との名で呼ばれ、解として得られる式が代数方程式の時は”代数的積分”と呼び、それが存在する時”代数的積分可能”という。また、この分離方程式は2つの微分式で構成され、それぞれ√の中は4次の多項式が含れ、この形の微分式の積分は楕円積分となる。
 そこでオイラーは、この様な微分方程式が積分可能である事を証明したが、これこそがアーベルの楕円関数論の出発点となった。

 更に、アーベルの言葉に耳を傾けると楕円関数論の歴史が回想され、オイラーに続き、ラグランジュの変換理論に言及し、”これらの関数の本性を深く究明した最初で唯一の人はルジャンドル氏で、楕円関数のエレガントな性質を繰り広げ、その応用を示した・・”と、ルジャンドルを称賛。一方、ラグランジュはオイラーの思索を継承し、∫Rdx/√{(1−p²x²)(1−q²x²)}という形(Rはxの有理型関数)の積分を考察した。
 ルジャンドルは楕円関数の理論そのもの進展に大きく寄与する事はなかったが、オイラーとラグランジュの研究に没頭し、大量の著作を書き、アーベルやヤコビはそれらを読んで、楕円関数に没頭した。
 そこでアーベルは、ルジャンドルが名付けた3種の楕円関数(楕円積分)のうち、第1種楕円積分には一価性を備える逆関数が存在する事に着目し、「楕円関数研究」にて、α=∫[0,x]dx/√{(1−c²x²)(1+e²x²)}、(但しc,eは定数)を書き、その逆関数(第1種逆関数)をx=φ(α)とした。更に、第1種逆関数の変数域を実数に限定せず、オイラーが発見した楕円関数の加法定理の支援を受け、複素数域にまで拡大する。
 つまりアーベルは、オイラーの加法定理を第1種逆関数の言葉で書き、第1種逆関数の加法定理を手に入れた。これこそがアーベルの創意であり、ガウスも殆ど同じ様な道を既に辿ってはいたが、アーベルの方がいち早く”楕円関数の発見”到達する。
 事実、変数域を複素変数にまで拡大すると、第1種逆関数の諸性質が浮き彫りになり、その最もなのが2重周期性ではあるが、零点と極の分布も明らかになり、第1種楕円関数の逆関数が今日の楕円関数である事が判明した。
 
 従って、この状況を指して”アーベルが楕円関数を発見した”と言われる所以である。

 少し長くなりすぎたので、今日はここまでです。次回は楕円関数の加法定理へと歩を進めたいと思います。