象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

負の要因と発想の転換〜大場政夫編、その2(2020/3/9更新)。


 神に愛された大場の眩い程の栄光も、織田淳太郎氏が描いた「狂気の右ストレート」(1996年、中公文庫)と共に、間もなく書店から姿を消す。バブル後の激しい時代変化や、流通業の悲痛な事情もあったのだろうか。
 織田氏は悔やんだ。”これ程のボクサーが簡単に忘れ去られる訳にはいかない”

 因みに、この「狂気の右ストレート」は、1992年に「大場政夫の生涯」(東京書籍)で刊行し、それを1999年に「首都高に散ったチャンプ〜大場政夫」(小学館文庫)と改題したものだ。
 織田さんの執念も大場の狂気と同様に半端ないですね。だから大好きなんですよ、大場も織田さんも。


若者は何故、リングを目指すのか?

 しかし、この負の要因こそが当時の若者を再びハングリー精神に駆り立てる。お陰でバブル崩壊後、一時的にボクシングライセンス取得者の数が膨らんだ。
 70年代後半の空前のボクシングブームの再来と大騒ぎになった。若者の精神的な枯渇感、それ故のストイックさに憧れるのか。大場に憧れる若者は少なくなかった。
 ただそれ以上に、文藝春秋「Sports Graphic ナンバー」の影響が大きかった。
 そして”若者は何故リングを目指すのか”織田氏の連載が大当りする。

 しかし、ストイックとはそんな軟じゃない。ある日、大場は語った。”減量とはね、何度も何度も雑巾を絞るでしょ。そしてカラカラになったその雑巾を、もう一度絞り出すんですよ
 ”ボクサーなんて、なるもんじゃない”は、大場の自虐的な口癖だった。

 大場には、タイトルマッチの翌日から減量メニューがプログラムされていた。3ヶ月間時間をみっちり掛けないと体重が落ちないのだ。
 防衛戦直後の祝賀パーティーでも食べ物には箸をつけなかった。
 "これを食っちゃうと明日からがキツくなるから"

 タイトルマッチ直前の3日間はリミットの状態でじっと堪えた。手は老人の様にカサカサに萎れた。景気づけに友人は外出に誘うも、疲れるからって家に引き篭もった。
 大場は身も心もボロボロになり、リングに上がってたのだ。

 "きついトレーニングなら誰でも出来るの。多くの世界王者が日本から生まれたけど、あの凄まじい減量に耐え切れたのは、昔も今も含めて大場一人だったわ"と、日本ボクシング界初の女性マネージャの長野ハルさんは語る。


死に急ぐ若者

 事実、大場には何の楽しみもなかった。あまりに可愛そうなので、長野ハルは”好きな車だけは”と目を瞑った。そして、その大好きなクルマと共に大場は他界した。
 日本に2台しかないと言われた白のコルベット。彼女は嫌な予感がしなくもなかったが。母親代りで育てた大場に対し、そこまで残酷にはなれなかった。大場にとってクルマは唯一の楽しみだった。

 父親は彼女を責めた。長野ハルを激しく罵った。”息子を返せ、アンタが倅を殺したんだ”と。彼女はボクシングジムの、日本唯一の女性マネージャであり、世界チャンプを育てた史上初の偉人に、対してだ。でも、父親の気持ちも判ります。それ以上に長野ハルさんの口惜しい気持ちが凄く伝わります。
 大場は生涯孤独のまま死んでいったと噂された。彼女もそれだけが気掛かりだった。”もう少し自由を彼に与えてたら、事故はなかったかも”自分を責めた。
 後に父親から、大場には婚約者がいた事を知らされた。彼女は救われた気持ちになった。


長野ハルという人

 長野ハルは、今日まで60年以上に渡り、国内最大手ジムのマネージャー(実質的な経営者)としてジムを切り盛りしている。
 大場以外にも浜田剛史西岡利晃粟生隆寛ら、多くのボクシング世界王者を育て、多くのビッグマッチを手がけ続けている、世界有数のプロモーターでもある。

 彼女もまた、大場と同様に生涯孤独だった。帝拳ジムの会長が志半ばで急死した為、彼女が実質の会長に君臨した。会長の息子はまだ学生だった。
 彼女は女である事をかなぐり捨て、ジムの為に大場を必死で育てた。”このジムから何としてでも世界王者を”と亡き会長に誓った。大場だけが彼女の希望であり、夢でもあったのだ。

 気が付けば婚期を逃し、大場の世界チャンプの夢だけが、生き甲斐となった。”お母さん、僕がいるから寂しくないよ”と大場は常に彼女を励ました。
 全く泣けてきますな。この子だけがチャンプの資格と才能を、そして彼女が持つ同質の”渇きと飢え”を持ってると直感した。

 彼女は大場の試合を会場で観る事はなかった。自分が愛情をかけて育てた”子供が殴られる”のに耐えられなかったのだ。そんな彼女もメンチな乙女心を持ち合わせてたのだ。  
 当の大場は、長野のそういった繊細な心配りとは裏腹に、タイトルマッチになると心が踊り高ぶった。"お母さん、会場満杯だよ。何だかゾクゾクしちゃうな" 
 彼女は返す言葉もなかった。所詮、男と女は異なる生き物なのだ。

 過酷な減量で萎れきった大場の肉体は、計量後わずか数時間で躍動する捕食者の、獰猛な身体に変貌した。彼女には目の前にいる大場が全くの別人に見えた。その彼が呆気なく死ぬなんて誰が信じれようか。


 そして2015年、日本人ボクサーとしては、ファイティング原田以来、二人目の世界ボクシング殿堂入りを、具志堅用高と共に果たした。大場の死後、42年後の事であった。
 全く、大場政夫の事になると、話が止まりません。