
ウクライナの筈なのに
夢の中で私は、とてものどかな田園地帯にいた。
しかし私は、義勇兵としてウクライナへ向かった筈だった。
ウクライナ紛争は長期化して激化し、日本人も無作為に徴兵に掛けられ、運の悪い私は義勇兵として駆り出されていたのだ。
しかし、私が赴任した場所はウクライナとは程遠い(どう見ても日本の)田園地帯である。水田が延々と広がり、まるで筑後平野を眺めてる気分で、どこで戦闘が行われてるのか?その気配も匂いも全くしない。
ただ、民間人や住民は全て避難してるらしく、人の気配は全くない。人の匂いらしきものすらもない。
主要道路にはそこそこ店はあるが、ガラーンとしてて誰もいない。
そういう私は義勇兵なのに、軍服も着てないし、銃や軍備品も持ち合わせてはいない。
おかしいな?と思いつつ、のどかで平和な景色を眺めていた。
すると、携帯に一本のメールが入る。
”ロシア軍が攻め込んで来た。直ぐに退避するように”と、退避先が記されていた。
私はナビを確認しながら、退避先へと向かった。記されてた通りに歩けど歩けど、目的地らしき場所は見当たらない。
道は次第にぬかるみ、狭い農道になり、その先は畦道となって、行き止まりになる。
”これが戦争か?”
私は自分の目を疑った。
仕方なく主要道路に引き返すと、ロシア軍を阻む大きな金属材を使った遮断物が至る所に置かれてある。道路の両側には塹壕が深く掘られている。
それに、あらゆる所に砂袋やコンクリート破片を積んだ封鎖手段が準備されていた。
”やはり戦争には違いない”
しかし銃撃音もしないし、それ以上に人気が全くしない。戦った跡は勿論、人が居たような跡すらない。
私はもう一度携帯のナビを見た。
何とそこには、自分の住んでる地域名が記されてるではないか。
つまり、私はウクライナではなく、筑後平野のど真ん中にいたのだ。
安堵した私は思わず笑い転げそうになったが、そこは私が知ってる道や町並みではなく、全くの別空間であった。
まるで異次元の得体の知れない世界に迷い込んだ気分になり、”これが戦争がもたらす幻影なのか?”と途方に暮れてると、夢から覚めた。
本物の戦争は怖かった
2週間ほど前に見た夢だが、その夢の中にまでウクライナが登場した。
連日のウクライナ報道に気を取られ、お陰で気が変になりそうだ。
気分転換に明るいテーマをとも思うが、そんな余裕すら起こらない。
日本とは遠く離れた国での戦争なのに、まるで隣で起きてる惨劇の様に映る。
ウクライナ危機と台湾危機では大きく状況や背景が異なるのは判ってるつもりだが、今日のウクライナは明日の日本である。
そう思うと、一昨年から続くコロナ騒動は序曲に過ぎなかったのか?と思えるようになった。
アグネス・チョウの香港民主化デモも、グレタの温暖化デモも、おママゴトの様にも思えてくる。
本物の戦争は本当に怖い。
デモの暴動は冷静に見れたけど、本物の戦術爆撃は目を覆いたくなる程の壮絶と轟音と、そして破壊力である。
我々が目にする現実は、戦争という名の耐え難い真実であった。
ワイドショーでは、グロなメイクを施した女性コメンターが陳腐な専門用語をロボットAIが如く慢性的に繰り返す。
ジェンダー、グローバル、ウイズコロナ、、、聞いててウンザリだが、こうした幼稚な言葉のお遊びで、戦争は終結するのだろうか?
一方で、某有名私大教授のオバさんは(パテ埋めした様な化粧で)、寄付とか物資援助とか時代錯誤に近い事項を脊椎反射的に並べ続ける。
”分かってねーな、このオバハン”って叫びたくもなるが、当の本人は全てを理解してるつもりで喋ってるのだろう。悲しい限りである。
物事の本質を探ろうとしない日本人の悪い癖だが、今に始まった事じゃない。
”私の経験から言えば・・・”
(茶色い蛙みたいな顔をした)解説者の言葉を聞いた時、日本のワイドショーのレベルがどの程度のものかがよーく理解できた。
かつて有事の際は、”軍事評論家”って類いの怪しい?専門家(多くは作家)がワイドショーを賑わした。
しかし彼らには、渇きとかいったハングリーさがあった。”中東評論家”ってのも笑ったが、ここで一発当てれば、プー?から有名私大の客員教授に昇格できる。
故に、言ってる事には真剣味が存在した。
彼らにとっても、(市街戦同様に)熾烈を極めるもう一つの戦争だったのだ。
何時かは訪れる筈の停戦か?
それとも延々と続く破壊攻撃か?
ウクライナの報道に、一喜一憂する自分がいる。
これも、もう一つの静かなる戦争なのかもしれない。