象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

結局は有権者次第〜たかが選挙で日本は変われない


 今回の参院選では、立憲は過去に失墜した民主党のイメージが強く、予想された程には票が伸びなかった。維新も公明も既に朽ちた政党に過ぎないが、自民に関しては予想された以上に票が伸びた。
 ボクシングで言えば、僅差の判定負けといった形になったが、ある意味、善戦したとも言えるし、オラが村の”農民票=自民票”は未だ健在だったとも言える。
 それでも、高齢者の多くが支持する世襲族とボケ老人の集合体である自民党の近未来には暗く大きな影を落とす結果となったし、票が伸びなかった立憲や維新も所詮は自民から溢れ出た古株族に過ぎない。 

 一方で、若い層に幅広く人気のある国民民主が票を増やしたのは予想通りだったが、微妙な公約でメディアを騒がせた参政党の大幅な躍進は意外にも映った。これには、YouTubeSNSの影響も大きかったが、それだけネット族の趣向を巧く利用したとも言える。
 ”ネットvsテレビ”或いは”ファクトチェックvs校閲”という新旧の構図がはっきりと見てとれた今回の参院選だったが、基本的な部分は何ら変わって無い様にも感じた。事実、過半数を確保した野党だが、結局はバラついただけで、自民を転覆させるまでには至らないだろう。
 そう、時代は変わる様で変わらないし、変わらない様であっさりと変わる。たとえ、この国の政党が変わっても政治も世の中も変わらない様な気がするが、多分外れてはいない。

 因みに、私が投票したのは社民党だが、何とか1議席を確保し、今回の参院選で唯一の救いだったのは、新人のラサール石井がその1議席を獲得した事だ。
 知能の高さで言えば、初登場で1議席を獲得した”チームみらい”の安野貴博も負けてはいないが、この2人の当選は私にとって頼もしくも新鮮に映る。

 
選挙制度の限界

 日本の政治や経済が停滞したままな原因の1つに、選挙制度の問題がある。
 選挙は民主政の根幹を成す要素だが、選挙が正常に機能しなければ、民意は正しく政治に反映されなく、政治もまた正常に機能しない。そして、政治が機能しなければ経済も社会も立ちゆかなくなる。なぜなら、日本という国の意思決定は政治の場で行われてるからだ。
 以下、「現行の選挙制度のままではいつまでたっても日本は変われない」で論じられてる事を大まかに纏めます。

 日本は衆議院小選挙区比例代表並立制で、参議院は選挙区制と比例代表制という制度を採用する。特に、衆議院小選挙区比例代表並立制という選挙制度は、リクルート事件などの大型疑獄事件の反省の上に立ち、”カネの掛からない政治・政策主導の政治・政権交代が可能な政治”との触れ込みで、1994年の政治改革の一環として導入された。
 しかし、小選挙区制を中心とする新しい選挙制度の下では、投票率は低迷を続け、政権交代も結局は30年間で1度だけである。

 そもそも、なぜ日本は小選挙区制を導入したのだろうか?
 「証言、小選挙区制は日本をどう変えたか」の著者・久江雅彦氏は現在の選挙制度が導入された1994年当時、小選挙区制に反対する人は守旧派のレッテルを貼られ誰も反対できない空気が作られていたという。
 元々、小選挙区制はアングロサクソンの国々が得意とする選挙制度で、歴史も文化も大きく異なる日本にて上手く機能すると考える根拠は必ずしも多くはなかった。が故に、当初は小選挙区制の導入を提唱する人は多くはなかったが、自民党を飛び出して細川連立政権の立役者となった小沢一郎朝日新聞を始めとする大手メディアが小選挙区制こそが政治改革の本丸である”かの如く主張を展開した結果、世論すらも小選挙区制一辺倒になっていく。

 久江氏は同著の中で小選挙区制が導入された際の当事者だった細川護熙首相や河野洋平自民党総裁にもインタビューしてたが、両氏共に現在の選挙制度は誰も望んでなかったし、”妥協の産物だった”事を認めている。
 一方、議会で過半数を占めるには、同じ選挙区に同じ政党から複数の候補者を擁立する中選挙区制の下では、候補者間で政策的な違いを出し難く、結局は利権政治の温床となるとの説明から小選挙区制が導入されたが、小選挙区になれば問題が解決されるとの考えも、今となっては虚しく思える。
 事実、現行の選挙制度には数々の欠陥がある事は明らかで、有権者の投票行動が議席配分に過大に反映され、僅かな票の移動で容易に政権交代が起きる小選挙区制と、それを相殺する比例代表制がブロック制という中途な形で組み合わされた事で、実際に政権交代は起き難く、更に少数政党が生かさず殺さずの生殺し状態に置かれる状況に陥った。

 確かに、現行の制度では比例区のお陰で野党は生き残れるが、政権を担える様な規模にはなりえないし、また、小選挙区で落選した議員が比例区で復活当選する事で、有権者は益々シラける制度に成り下がる。これでは投票率が先進国の中でも最低水準に低迷するのも無理はない。
 更には、小選挙区制の下では最初から強固な支持基盤を持つ世襲議員や、特定の業界団体の支持を受けた族議員や組織内議員が圧倒的に有利になる。

 つまり、これでは政治にも日本にも新陳代謝など起きる筈もなく、しかも300億円を超える政党交付金が毎年議席の多い与党により多く配分され、与党にはパーティ券を通じて企業や業界団体から大量の政治資金が流れ込む。
 全く、この様な政治状況の日本で政治にも経済にも殆ど変革が起きないのは、いわば当然の事であり、小選挙区制の導入と日本の”失われた30年”が同時期に始まった事は、決して偶然ではなかったと考えるべきだろう。
 しかし、ここで拙速な選挙制度の変更には慎重を期する必要がある。というのも、30年前の失敗は政治腐敗を全て選挙制度、とりわけ中選挙区制のせいにして、選挙制度さえ変えれば問題が解決する”かの様な安直かつ短絡的な考え方で国全体が動いたからだ。


選挙を変えれば政治が変わるのか?

 確かに、現行の選挙制度に問題があるのは事実だが、今回もそれを丸ごとすげ替えれば、今の政治が直面する問題が全て解決するかの様な主張には注意が必要である。むしろ、現行の選挙制度の下で明らかに問題があると思われる比例復活やブロック比例の問題などを個別に再検証し、小選挙区の特性を活かしつつ、その弊害を最小化する方法を模索する方法も考えるべきだろう。
 それに、それら問題が解決したとしても、選挙制度自体に国民の理念が存在しなければ、民主主義の意味もない。
 事実、「日本の選挙:何を変えれば政治が変わるのか」の著者・加藤秀治郎氏は、”日本の選挙制度には理念が欠けており、理想の国家像を描いて、そこから演繹的に国会の役割や適切な選挙制度の在り方を検討する事ができていない”と諭す。
 つまり、選挙制度とは政治体制の理念や思想を反映させたものだが、現在の日本の選挙制度に理念はないとなる。

 日本の選挙制度の分類は日本独自のものであり、諸外国の分類が過去の思想家の理念や主張に基づいた分類になってるのに反し、日本のそれは単なる”デパート状態”的ごたまぜを折衷的に分類したに過ぎないとの指摘がある。この状況に、海外の研究者などは”あえて絶望感に追い込む様に作った制度のようだ”と嘆息する。
 因みに、この選挙制度の”日本的説明”を与えたのが、東大法学部教授の野村淳治(1876-1950)で、選挙という最も民主的な制度の説明を、大した思想的根拠もない権威に拠って説明し、それに納得してる点でも、日本の民主主義の程度が知れる。
 選挙制度は”選挙区”と”比例代表制”に分けられるが、前者は多数派の意見を反映させ、後者は少数派であろうと民意を反映させる事こそが民主主義の理念だと考える立場である。但し、後者の方が好ましい様にも思えるが、議院内閣制に基づく政治制度では多数派を形成する事こそが政権安定に不可欠であり、小党乱立を促す比例区は政治麻痺に起こす可能性が高い事も指摘されている。

 新旧の選挙制度が統一性なく乱立してる状態では、まともな選挙対策が行える筈もなく、まるで幾つもの制度を足して割る様なやり方では矛盾と限界がある。一方で”票の不平等”に関する問題も、選挙制度が単に政局抗争の手段に用いられる傾向にあり、日本政府の伝統儀式のようだが、政局に堕さない選挙制度論が必要となる。
 著者の加藤氏はドイツの政治制度の専門家だが、ドイツの政治制度や選挙制度には多くの学ぶべき点があると諭す。そもそも英米の様な2大政党制が好ましいものなのか?今に思うと怪しいものだが、その疑問を晴らす為にもドイツの政治制度は大きな参考にはなる。
 事実、小党乱立を避ける為に設定した”5%条項”つまり、得票が一定の基準に満たない時は、その政党に議席を与えない制度や、一方で投票名簿を地方単位で作成し、票のカウント自体は全国単位で党ごとに議席数を配分した後、更に地方の得票数に応じ”党内の議席を再配分する”方式では、それぞれの地方の意見を政治に反映させ、その票数が議席数に影響を与える為に、それぞれの地方の投票者の投票率が向上する。少し複雑にも思えるが、実によく考え抜かれたこうした選挙制度には、ドイツ的知性を垣間見る事が出来る。


最後に

 最も、いくら選挙制度が理想的であっても、民主主義の下では有権者次第である。つまり有権者が民主主義を支えてる事実は変え難く、我ら有権者に理念も理想もなく、何も考えないで投票所に向かえば、政治は腐り果てるだろう。
 少なくとも”ウチは自民党で決まりじゃけん”では、オラが村で長く続く伝統や慣習ではあっても理念ではないし、たとえ理想であったとしても、期限切れの腐った政党を支え続けてきた事は事実である。
 言い換えれば、ムラ社会に棲みつく有権者が変わらないと、政治も選挙も変わりようがない。つまり、選挙は政治家の私服を肥やす為にあるのか?国民の至福を満たす為にあるのか?
 理念とはそういうもんだろう。