
「ミール博士の検証」でも少し触れましたが、「まぐれ~投資家はなぜ運を実力と勘違いするのか」の原書「Fooled by Randomness:The Hidden Role of Chance in Life and in the Markets」は2001年に出版された。
直訳すれば、”ランダムさに騙された〜人生と市場におけるチャンスの隠された役割”となる。だが、こうした人間のランダムさへの理解に対する誤りと限界を、爽快にかつ緻密に指摘したナシム・ニコラス・タレブ氏と、この著書を今日は紹介します。
訳者の望月衛氏によれば、2007年にダイヤモンド社がタレブ氏の「ブラック・スワン」の版権を取った時、それと一緒に本書「まぐれ」の版権を押さえてくれた事がこの本の翻訳のきっかけだったという。
翻訳者の証言〜タレブという人
その望月氏だが、ヘッジファンドをやる人には変わった人が多いが、タレブはその中でも”特に変わった人だ”と語る。
ヘッジファンドの運用方法は様々で、市場の方向性に賭けるやり方やその逆のリターンを目指すやり方も存在するが、オプションだけを取引し、ロングするだけの手法はタレブだけである。
一方、オプションをロングし続けるのは非常に苦しいとされるが、タレブはオプションを買う時と売る時に起こる結果を”血を垂れ流すか、それとも吹っ飛ぶか”との言葉で表現する。つまり、買えば少しずつ利益は出るが、いつかは吹っ飛ぶし、売れば大損の危険性が高くなる。これを業界用語で言えば、”ダラダラ死ぬか、突然死か・・”となる。
こんな感覚は一般投資も同じで、暫くは統計的に割り出された投資は良好で価格差の分だけ利益が出る。が、突然死その関係は崩れ、大損害が出る。一般に損をするのは、ダラダラ死ぬより突然死の方だし、特に昨今はその傾向が強い。
一方で、タレブが罵倒する間違いを犯す投資家だが、タレブ自身も例外ではない。事実、迷信深い人間や損益の額よりも損益の頻度で一喜一憂する合理的でない人間とは、タレブ自身の事でもある。本書が成功哲学や学術本ではなく、私情のエッセイであるのはそういう事である。
そのタレブ氏だが、トレーダーとしての経験と観点から経済学の標準理論を露骨に批判する。特に第6章の”ルーカス批判”では”思ったほど広まらなかった”と悔やんだ。
トレーダーは常に大きいリスクを狙うが、”利益が出れば巨額のボーナス、損すれば次を探せばいい”という(モラルに反する)コール・オプションの形をとってるからだ。同様の事はリスク管理にも適用でき、管理されるリスクは小さく、そうでないリスクは大きくなる。勿論、トレーダーは管理されない大きなリスクをとるが故に、”規制を作れば、規制を受ける連中はその裏をかいて行動するが、リスクを管理する側はそういう事すら判ってない”と言うのが、タレブが悔やむ”ルーカス批判は広まらなかった”の意味である。
タレブ自身は、そうしたトレーダーのメンタリティを持ち、高度なリスク管理手法やその裏付けとなる確率論を深く理解する人だ。毎日少しずつ損が出る様なオプション・ロングのポジションを毎日の様に頬をピクピクさせながら眺め続けるタレブだが、そんな危険な綱渡りにどうして耐え続けられるのか?
タレブは自社のファンドに(当然だが)自身で変えられるルールを設けてるが、そのルールを変える為のルールが存在する。彼の取り巻きには信頼できる仲間らがいて、彼の行動を見張り、同時に励ましてもいる。
つまり、毎日損をしながらでもいつかはやってくる”黒い白鳥”を待ち続けてるのには意義があるのだ。例え、それが”まぐれ”だとしても・・・
メディアは偶然を理解できない
タレブ氏は、様々な金融機関の現場でトレーダーを経験してきた。が故に、机上の理論であるブラックショールズの数理モデルを完璧に理解しつつも気に入らないのはそのせいでもあろう。また、第2章では”受渡最割安”という用語が登場し、タレブ氏はメディアを叩くが、経済学では”レモン問題”と呼ばれる。
これは、”安い”という買い手の安心感を逆手に取った売り手の戦術で、大衆がリスクを頭(脳)ではなく感覚(情)で判断する傾向にある事を実証している。つまり、リスクを回避する時合理的な考えは殆ど存在しないし、失敗を理屈をつけて正当化する時に存在するようだ。
そういう意味で、マスコミが描くのは現実とは関係ない世界だけでなく、感情に働きかけ大衆の注意を惹きつける様な”受渡最割安”な世界である。BSE(狂牛病)を例に取れば、メディアが10年以上も大げさに騒いだ割には、それで死んだ人は多くて数百人とされる。一方、年間数万人が死ぬ交通事故は、メディアには当り前過ぎて面白くない。
現代人のがんや貧しい国の栄養失調がメディアの話題から消え去ったのも、大衆の関心や同情を集められなくなったからだ。つまり、直感や感情という脳内の確率論に従えば、メディアに踊らされるだけで、相手にしない方が情報という点でも有利である。
これは市場のポラティリティ(株価変動)も同様で、価格が上がるよりも下がる方が大きく感じるし、メディアの論調にも大きく影響を受ける。つまり、世界はどんどん複雑になり、私達は単純化されたものばかりに接するようになる。
第2章の最後では、”リスクを監視してもリスクは減らない”と論じ、金融市場のランダム性を相手にするタレブの仕事が抱える本質的な矛盾が悲しいかな”大衆の殆どがランダム性に騙され続ける事にある”と暴露する。
つまり、タレブ氏の商売相手はランダム性ではなく(ランダム性に騙され続ける)大衆の愚かさである。故に、タレブにとって最大のリスクはブラックスワンを見つけ出し、大衆の愚かさに乗じて”勝ち馬に乗り成功する”事である。
ここまで書けば、副題「Fooled by Randomness」の意味が理解できるだろう。ただ、個人的には”まぐれに騙され続ける投資家の愚かさ”の方が良かった様に思える。
そこで、タレブ氏の経歴をウィキを参考にざっと紹介する。
ウォール街でトレーダーとして長年働き、その後ヘッジファンドの経営を経て、フルタイムの研究者兼作家になる。作家の方が著名だが、2008年のリーマンショックなどの金融危機における数々の成功により”天才トレーダー”としても知られ、稀な出来事に賭けて大きな利益を上げた手法から”カオスの帝王”と称えられる。
研究者としては主に、脆弱性の測定・予防とモデル誤差について取り組むが、作家としては(実践者の立場として)不確実性なランダムな世界での行動方法を提唱する。予期しない稀な現象に関するブラックスワンの概念を大衆化し、反脆弱性の概念を提唱した。
そんなタレブ氏だが、1987年のブラックマンデーで4000万ドルの利益を上げた事でUBSの取締役兼専任トレーダーを務めるなど、様々なな職を転々とし、1999年にトレーダーを引退。その後ヘッジファンドを創設し、2000~01年にかけて起きた大暴落で大きな利益を生み出す。
しかし喉頭癌により、04年にはそれもやめて、文筆業と研究に専念。07年以降はファンドアドバイザーやNY大学でリスク工学の教授を務めた。特に07年の金融市場は、サブプライムローンのデフォルト率の上昇に始まる信用収縮が一番大きな材料だった。
タレブは早い時期に、住宅ローンなどのキャッシュフローを証券化したCDOやSIVの”リスクは市場の投資家が思ってるよりも大きい”と警告。また、1998年のLTCM危機にても。その前年に”彼らは市場に極端な変動が起こり易い事を解ってない”と発言。が故に、彼を”いつも危ない危ないと言ってる奴”とみなす向きもあった。しかし本書でも述べられてるが、”極端な変動は極端に儲かる事も極端に損をする”事も含まれ、タレブはその両方を相手にする男である。
つまり、幸運のブラックスワン(黒い白鳥)を呼び込むには、そうした大胆さと緻密さと身銭を切る事も必要なのだろう。
運は努力や実力にもまさる
「ミール博士の検証」でも紹介したが、多様性により不安定性が低減され、安定性が増すものの、相互に連動した脆さが生まれ、破壊的なブラックスワンを生み出すのだが、タレブは”1つの銀行が破綻したら全てが巻き込まれる”と銀行側に警告し、自著「ブラックスワン」の予測は大当りする。
そして、2007年からの世界金融危機の間に数百万ドルの利益を上げ、彼がアドバイザーを務めるヘッジファンドにも多くの利益を生み出した。この成功により彼は世界中にその名を轟かす事になる。
また、2020年の新型コロナパンデミックでも、自著「強さと脆さ」(2010)では”地球上を揺るがす様な大流行が起こるリスク”を示唆していた。”新型コロナパンデミックは予測可能であったが、殆どの投資家は大きな代償を払った。このパンデミックはブラックスワンではなくホワイトスワンだ”とコメントし、彼が助言するヘッジファンドの同年3月の運用成績が+3612%となったと報じられた。
本書では、人類の脳が”決定論”にというバイアス支配され、この世で起きる事の殆どが偶然ではないと思い込む仕組みと・・その一方で、”ファットテイル”という大きく極端に振れた事象を引き起こす、強い種類の不確実性と、この2つについて、大きな警鐘を鳴らす。
事実、私達の生きてる世界が実際に滅多に起きない筈の出来事で説明できるケースがどんどん増えているのだ。
冒頭で述べた様に、原題は「Fooled by Randomness」で直訳すれば”ランダムネスに踊らされる愚かさ”となる。訳本の副題では”投資家は運を実力と勘違いするのか”とあるが、事は投資家だけの問題でもない。
数学の様な数字が支配する世界では、確率で解る事も幾つかあろうが、社会科学に属する経済学の様な現実に近い世界では、専門家が何を言おうが殆ど何も分からない。
「ミール博士の提言」でも述べた様に、何故ベテランの経験値の多い専門家ほど予測が頻繁に外れるのか?ワイドショーでもそうしたケースは暫し目にするが、むしろ素人の方が的中する。
理由は、熟練の専門家らには長年の経験と知識の蓄積によるバイアスが掛かり過ぎているのだ。特に金融の世界にはそうした勘違いトレーダーがゴマンといるとされる。
確かに、コンスタントに儲けるトレーダーは幸運の連鎖に支えられてるだけかもしれないし、スキルや経験や知識は不要とまでは言わない。だが、多くのゲームでは時間の経過と共にスキルが際立ち、運は減少していくが、短期的には運が重要な役割を果たす事もある。
勿論、物事は私達が思ってる以上に”たまたま”であり、物事が全部”たまたま”である筈もない。つまり、まぐれ(偶然)を十分に理解する事で”Fooled by Randomness=ランダムネスに踊らされる愚かさ”を防ぐ事が出来るのだ。
事実、不確実性の世界で人類が解ってる事は非常に少ない事が、逆に人がその不確実性に騙される仕組みの研究の方が(著者にとっては)不確実性の研究よりも興味深い事の大きな理由となる。
一方で決定論で言えば、(成功も含め)既に起きた事は実際程に偶然は見えないから、”後知恵バイアス”(又は”生存者バイアス”)と呼ぶ偉そうな経験談を耳にすると、その殆どがでっち上げの眉唾臭い結果論、いや後知恵の説明だったりする。故に、1%の成功者の談よりも99%の運悪く失敗した人の声に耳を傾けるべきだろう。
最後に
つまり、”だから失敗する”とか”だから成功した”ではなく”こうすれば運を引き寄せる確率が高くなる”と諭すべきだろう。偶然を理解するとはそういう事である。
ぶっちゃけ、成功とは民主的なもので誰に訪れても不思議はない。能力や努力は勝ち組になる為の必要条件かもだが、運は十分条件であり必要条件にもなりうる。つまり、運だけで成功する確率は能力や努力のそれよりも高いとも言える。
こうして、この本をサラッと眺めただけでも、結構な鋭い切り口で序盤戦に挑んでるのが判る。
「ブラックスワン」が世界で大ヒットし、大きな注目を集めた著者の本だから面白いだろうとの声に懐疑的でもあったが、実際に恐ろしい程に面白いし、勉強になる。
事実、この本を薦めるくだりに”日々の生活に表れる確率の歪みを数理系トレーダーが語っている本で、読んでみると(意外に)気が晴れるよ”とあるが、その言葉は本当だった。
まさにこの本は著者が語る様に、私事のエッセイであり、学術論文でもないし、”神よ許し給え”的な科学的調査報告書でもない。楽しむ為に書かれた本であり、難しい事考えずに笑い転げながら眺めても楽しめる。
その一方で、昨今の不確実性な時代のランダムな世界を人類が理解できない事も指摘する。だが著者は、その世界のごく稀に潜むブラックスワン(=黒い白鳥)を密かに狙っているのだ。言い換えれば、この黒い白鳥を幸運の女神に変えれる人だけが現代の賢者とも言える。
まるで目から鱗の話ばかりで、人生の教訓とも思える著だが、高学歴の著名人や専門バカや外面だけの有識者が語るウソや愚かさを見抜く為にも絶好の良書である。
勿論、メディアにより世の中の主流に踊らされるのが悪いとも言わないし、愚かだと決めつける訳でもないが、人生を面白おかしく生きたけりゃ、著者の様に懐疑的に逆説的に物事を見つめるのもアリだろう。
お陰で、人はもっと”まぐれ”という偶然に謙虚で忠実にあるべきと教えられたが、偶然を味方にすれば、その人生の生き方も大きく変わる。故に、偶然や必然に惑わされる事なく生きる事で、昨今の不確実性な時代を好奇心を持って生きる事が可能になろうか。
「ミール博士の提言」に寄せられたコメントにもあるが、一時の成功に自惚れる愚かさより人間としての限界を知り、ランダムな世界の中で偶然に踊らされない尊厳や品位を持つ事の方が、安っぽい薄っぺらな成功よりもずっと大切な事を教えてくれる。
ランダムさを科学する確率論や数理モデルに拘らず、自身の無知を悟り、そのランダムさに辛抱強く寄り添った方がブラックスワン(黒い白鳥)はいつかは微笑んでくれる。
その幸運はいつかは尽きるかもだが、悪運もいつかは尽きる。稀に現れる黒い白鳥を幸運とみなすか悪運とみなすかは、全ては自身の考え方次第なのである。
補足〜無限大匹のサル
少しネタバレになるが、第2部の”タイプの前に座ったサル”を紹介する。
無限大匹のサルをタイプの前に座らせ、好きに叩かせれば”イーリアス”と正確に打つ猿が確実に1匹は出る。勿論、その確率は低いが、更にそのサルが”オデュッセイア”と正確に叩ける確率に賭ける人はどれだけいるだろうか?
この実験で面白いのは、”イーリアス”と叩いた過去の実績が、タイプの前に立つサルの将来のパフォーマンスにどれだけの影響をもたらすのか?という事である。
”イーリアス”と正確に叩いたんだから、”オデュッセイア”も叩ける筈よ・・と単純に考えるのだろうか?
こうした帰納的推論に付き纏う致命的問題は、データから結論を引き出すのが得意な人は往々にして罠に嵌り、その罠にすら気付かない。つまり、データが多い程データの海に溺れ易くなる。
例えば、確率の法則をよく知ってる人は、素晴らしい業績が続く可能性のルールに基づき、過去の実績で将来の成績を予測する。だが、この様な微妙な連中には注意が必要で、確率を少し判ってる位だと、全然判ってない人よりも酷い失態をしでかす。
勿論、全ては否定しないが、そうした仮説の可能性はとても低いし、低すぎて意思決定には役に立たない程だ。
サルの例で言えば、意思決定には2つの要因に左右されるが、それは仕事に対するランダム性の割合と、その仕事に就いてるサルが何匹いるかである。特に後者のサンプルの数は重要で、猿が5匹だけなら”イーリアス”と叩いた猿は凄いし、”伝説の猿だ”と永遠に語り継がれるだろう。が、猿が10億の10億乗匹だったらそうでもない。
むしろ、(運だけで)カサノバの「回想録」を書き上げる猿が出てこない事の方が驚きである。これは(歯医者も含め)、どんな業界でも仕事をする人が多い程に、そのうちの1匹が運だけで成功する事を示唆している。
「数学は偶然の上・・(その1)」の中の”伝説のトレーダー”で書いた様に、市場にいる投資家の数から成功する確率を計算する人は沢山いるが、一定の期間内の市場で取引をした延べの投資家の数を条件として、その確率を計算した人はごく稀にしかいない。
こうしたサルの問題だが、目に見えるのは成功したサルだけで、それ以外は隠れている。つまり、生き残りだけを数え、オッズを読み誤る。従って私達は、真の確率ではなく世間が考える確率に反応する。
第1章で紹介されたネロ・チューリップがそうであった様に、確率論を学んだ注意深い懐疑的なインテリでも、社会からのプレッシャーを受ければ、賢いとは言えない反応を示す。
つまり、人はセロトニンの分泌により成功を実力(必然)と考え、失敗をたまたま(偶然)と考えるからタチが悪い。
