象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

まるで、インド版”燃えよドラゴン”・・「モンキーマン」が放つ、猿男の”怒りの鉄拳”


 展開としては、単純な復讐もの系で、終始殴るか蹴るか刺すかの血みどろの描写がメインである。
 舞台がインドなので、てっきり映画大国インドの作品だと思いきや、製作はユニバーサル・ピクチャーズ(米)で、アクションは「ジョンウィック」シリーズのスタッフ陣で固めている。但し、コロナ渦の影響から、撮影所はインドネシアに変更されたという。

 どうりで、インドにしては(と言っては失礼だが)垢抜けしたアクションシーンに、私の目は最後まで釘付けだった。
 監督・脚本は主演俳優のデーヴ・パテールが務めた事もあり、”復讐にかられた男→過去の記憶により失墜→救済を経て再生→壮絶な復讐劇”との明快な流れで、何も考えずに楽しめる映画に仕上がっている。だが、最後の復讐のシーンは目を見張るものがあった。
 勿論、アクションの流れそのものはインド版”ジョンウィック”の領域を超える事はなかったが、気合的にはインド版”燃えよドラゴン”と感じる程に、パテールの気合は尋常じゃない。事実、彼は撮影2日目に手を骨折し、アクションの撮影中には肩も酷く傷めたという。


アウトカーストと復讐の化身

 大まかな展開としては、母親を無残にも警察隊に殺された苦い記憶を持つ少年(キッド)だが、大人になると猿のマスクを被り”殴られ屋”(=モンキーマン)として地下格闘場のリングに上がる様になり、毎晩の様に八百長試合をして日銭を稼ぐ屈辱と貧困の日々が続く。
 因みに、モンキーマンには”復讐の化身”という意味があるらしいが、キッドはやがて警察署長への復讐の機会を密かに伺うも、一度は後一歩の所まで追い詰めるが、失敗に終わり、逆に被弾し、大きな傷を負う。
 その後、インド社会では虐げられてるトランスジェンダーらが集う小さなコミュニティ(ヒジュラ)に救われ、彼らに習って修行し、心身を鍛え、再度復讐を誓う。

 こうした復讐劇に加え、この作品のもう1つのテーマは、インドではアウトカースト(不可触民=被差別民)に属するヒジュラという存在がある。
 ”第3の性”とも呼ばれる彼らは、一般人の家庭での新生児の誕生や結婚の祝福の場で招かれ、踊りや歌を披露する一方で、カルカッタニューデリーなどの大都会では物乞いや男娼として売春を生活の糧にする。が故に、”不浄の者”と軽蔑され、しばし差別的な暴力のターゲットにされる。
 国家権力に立ち向かう性的マイノリティたちの熱い反抗のバイオレンス作品とも思えなくもないが、キッドと共に復讐を誓うヒジュラの存在とその実情は興味深くも複雑に思えた。
 一方で、濃密で露骨なセックスシーンはないものの、インドの違法な性風俗の魅惑的で悩ましい表現は艶やかで色っぽく、キッドやヒジュラが血みどろの戦いを繰り広げる一方、スクリーンに彩りを与えるには十分過ぎる程の効果があった様に思う。

 まるで、「燃えよドラゴン」をインドで作ったらこうなりました的な作品にも思え、あの頃の躍動が蘇った様な気がした。事実、ブルース・リーに影響を受け、マーシャルアーツを学んだ経験をもつパテールだが”もし映画を作る事ができるならアクション映画だ”と決めてたそうだ。
 そんなパテール演じるキッドだが、ブルース・リーやマ・ドンソクの様に無敵でも格闘技の達人でもない。ただの猿のマスクを被ったノッポの”殴られ屋”に過ぎない。
 だが、そんな社会の底辺に生きる男の積もり積もった反骨心や復讐心が原動力となり、最後の戦いでは相手が(怪しい)教祖の長老であろうが、躊躇なくフルボコにし、あっさりととどめを刺す。
 更に、レストランでの大人数相手に血みどろになって死闘を繰り広げるシーンは「ドラゴン危機一髪」を、警察隊長との1対1のシーンではローキックを多用し、「ドラゴンへの道」のクライマックスを彷彿させた。

 確かに、アクションそのものは打撃系に終止し、目新しいアイデアこそなかったが、きめ細かく作り込まれていて、監督としてのパテールの長年の熱き思いを等身大に感じた。
 色々と粗や不足はあったものの、インド発のアクション活劇と割り切れば、それだけでも評価したい映画である。
 という事で、少し辛いですが、☆3つという事で・・・