象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

流しソーメンの嫌〜な思い出


 NHKBSの「木梨文化使節キューバへ行く」という番組で、木梨憲武藤井フミヤをゲストに迎え、キューバのとある村で、流しソーメンでやけに盛り上がるシーンがあった。
 そんな時にふと思った。
 私はどうもソーメンが好きになれないのだ。これまた反日と揶揄されそうだが、あのソーメンの貧相さが好きになれない。
 日本人の繊細さと脆さを全て表出してるみたいで、少し哀しくなるのだ。


冷麺とソーメン

 韓国には”冷麺”という日本のソーメンに似たものがある。でもこちらは、細くともしっかりとした腰がある。
 朝鮮半島の悲しい歴史から来るハングリーさを彷彿させる歯応えと、冷やし中華に似た充実した食感と頼もしい味わいは、日本の弱々しいソーメンの遥か上を行く(と私は思う)。
 因みに、冷麺のルーツは北朝鮮にある。1950年に朝鮮戦争が勃発した際、南に逃れた脱北者を通じて韓国に普及した。本来は寒い冬に食べる料理だったが、現在の韓国では夏の食べ物とされ、日本の冷やし中華の様に夏の間に提供される(ウィキ)。
 全く”悲しい歴史が美味しい文化を生む”とはいい話です。それに比べ、今の日本はぬるま湯に浸かりすぎたコシのないソーメンみたいで、頼りないですね。

 しかし、その頼りない?”流しソーメン”がキューバでは大受けなのだ。
 番組の流れとしては、ノリの良すぎる木梨の空回りが目立つ中途な展開だった。しかし唯一、流しソーメンだけが質素なキューバの村落に色彩とその質感も含め、ピタリとハマってたように思う。
 特に、少女がソーメンの大きな塊を強引にすくい上げ、小さいお汁の入った器に放り込もうとするシーンには、思わず笑ってしまった。
 ひょっとしたら、今の日本はアメリカナイズドされた(奴隷制)民主主義ではなく、キューバみたいな地味な社会主義が似合ってるのだろうか。
 貧しい中にも夢があり、苦しい中にも笑顔があった日本が、本当の日本じゃなかったか。
 つまり、今の日本人はアメリカの糞尿が詰まったLouisVuittonのバッグを持ち歩き、自己満足に浸ってるだけである。
 私はそんなウンチの匂いのする高価なバッグより、お袋が麻布で縫ってくれたみすぼらしくも、夢と希望がいっぱい詰まった”手提げ”の方がずっといい。そう思うのは私だけか?


流しソーメンは誰が為にある

 どうも反日に傾斜しすぎたようですが、話を元に戻します。
 先程の少女の無邪気に喜ぶシーンを見てて、木梨が”日本よりも盛り上がってるなぁ〜”と興奮気味に叫んだ。番組の中で一番盛り上がったシーンだった。
 そして、私には”流しソーメン”の苦い思い出が蘇った。
 「隣組の世話」の冒頭でも書いたが、流しソーメンの舞台は我が村の隣組のお祭りの中にあった。
 元々”淀君祭”と呼ばれ、子どもたちが自主的に開いてたお祭りをクソ親父連中がでしゃばり復活させ、10年ほど続いていた。今ではその祭りも消滅したが、実を言うと世話人にはとても大きな負担で、評判は宜しくはなかった。
 その祭りの中でも”流しソーメン”は、主役級のイベントだった。

 私は祭りには1度しか参加してないから詳しくは知らないが、顔のデカい脊椎反射系のクソ親父が発案したそうだ。しかし悲しいかな、誰も反対する者はいなかった。
 私が参加した時、祭りの打ち合わせが公民館で開かれた時、そのクソ親父がドスの効いた声で怒鳴る。
 ”流しソーメンはヤラんのか!”
 周囲は皆、静まり返った。
 誰も何も言えなかったのだ。
 ”今回はやりませ〜ん”と、一言言えば済む事だ。しかし、ド田舎の原始住民はそれが言えないのだ。
 私は心底悲しくなった。嫌々ながらやるお祭りに何が残るというのか?アウシュビッツもポル・ポトも悲惨だったが、これも負けてはいなかった。

 世話人たちは、クソ親父の頑固で無能な頭が冷えるのを待つだけだった。
 そのクソ親父は延々と、祭りに参加しない連中の悪口をブツブツと言い放つ。 
 私が世話人だったら、土着民の非難を覚悟で”こんなアホ臭なお祭りはやめよう”とでも言い放ったであろうか。
 結局、世話人たちはクソ親父のアホ臭い主張に折れ、流しソーメンは死滅を免れたのだ。

 しかし、お祭り本番。
 人間は正直だ。誰も流しソーメンに群がる者はいなかった。
 タダで食える焼き鳥にみんなは群がった。ポツリと取り残された、流しソーメンの竹筒だけが片隅にポツンと、そして寂しそうに月夜に晒されていた。
 顔のデカい親父は独り無言のまま、流しソーメンを支える竹筒を解体し、その場を静かに去った。そしてその2年後、祭りは消滅した。
 

最後に〜流しソーメンは健在だった 

 ”流しそうめん”発祥の地は宮崎県の高千穂町で、昭和30年に生まれた。暑い夏の野良仕事の際に、野外でそうめんを茹で、竹と高千穂峡の冷水を利用し、涼を得た光景から思いついたとされる。
 一方、テーブルの周りを流れる”そうめん流し”の発祥は、鹿児島県指宿市の唐船峡で、その清水は1日10万トンも湧出する為、昭和37年に観光アピールとしてそうめん流しが始まったと。
 でも、真夏の暑い野良仕事にソーメンじゃ身体はもつのかな?”冷やしスキヤキ”の方が私には合ってる気がする。

 そういう私も子供の頃は、夏場の定番としてソーメンをよく食ったもんだ。でも美味しいと思った事は一度もなかった。
 というのも、子供の頃は(今でもそうだが)ご飯などの炭水化物系がダメで、脆弱な身体で食は細いながらも牛やハムやクジラや青魚の肉食がメインだった。
 だから、ご飯や素麺を食う奴はバカ?だと思っていた。しかし今になって思うと、満更ハズれてはいないと思う。
 日本人が小さい頃にもっと肉を食ってたら、知能も思考力も進化し、戦争でも勝つ事はなくとも引き分けには出来たであろうか?
 悔しいが、肉食のアメリカ人には体力でも知力でも、最初から敵わなかったのだろう。

 九州では神埼ソーメンが定番であるが、神崎の棒ラーメンの方がずっと美味しい。今や、流し棒ラーメンの方がお祭りでもウケるだろうか?いや、流し豚シャブの方がもっと受けるか?
 ただ、祭りというイベントに、かつて暑い夏の野良仕事の際に食ってた冷やし素麺を振る舞うというのも、芸がなさすぎやしないか。

 それでも多くの日本人は、流しソーメンをお祭りの伝統行事として、これからも延々と引き継いでいくんだろうか。