象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

強者どもの数学史(その2)〜リーマンのアーベル関数論とリーマンの創意

 前回の「その1」では、「数学史のすすめ~原典味読の愉しみ」(高瀬正仁著)の序章と巻末の解説を纏めた形でしたが、本書の中核はガウスから引き継いだアーベルの楕円関数論と代数関数論にある様に思えます。まず、本書に収められてる全7章を全て詳細に砕いて紹介する事も私の力ではできないので、第2章と第6章を中心に紹介したいと思います。そこで今回は、第6章の「リーマンのアーベル関数論」から、主観を交え、砕いて纏めたいと思います。

 まず、”リーマンのアーベル関数論”を要約すれば、まずアーベル関数論で言えば、アーベル積分(代数的積分)の逆関数、つまり楕円関数は加法定理を満たし、その加法定理を記述する代数方程式系は、ある種の微分方程式系の完全代数的積分を与えた。

 但し(以下でも述べるが)リーマンの言う”アーベル関数”とは、今日のアーベル積分の事で、一方アーベル関数論とは代数関数論の別名で、その場合は1変数の代数関数論となるが、代数関数論の中核は代数関数論の積分であり、その方面の開拓に先鞭をつけたアーベルに因み”アーベル積分”と呼んだ。他方、楕円関数を意味するアーベル関数との呼び方も存在し、全複素平面上で2重周期を持つ有理関数の事を指す事に注意する。

 更にヤコビは、「アーベルの加法定理」からヤコビの「逆問題」を抽出したが、それは岡潔がハルトークスの連続性定理からハルトークスの逆問題を造形した流れによく似ている。
 最後にリーマンは、複素数域を幾何平面と同一視するアイデアをガウスの曲率論から学び、更に推し進めて複素数域をリーマン面上に移した。リーマンの諸研究の根幹をなすのは学位論文「1個の複素変化量関数の一般理論の基礎」(1851)と、その土台の上に構築された「アーベル関数の理論」(1857)の2つで、前者では1複素変数関数論の基礎が確立され、後者の主題は1変数の代数関数論、即ち”アーベル関数論”である。この両者が岡潔の多変数関数論の範型となったのは既述の通りで、高瀬氏には、超えるべき2つの高峰でした。


岡潔とリーマンの夢

 リーマンに強い憧れを持ってた岡潔は三高の時、ポアンカレの「科学の価値」でリーマンを知る。
 ”クラインはリーマンの「ディリクレの原理」を証明しようと、球・ドーナツ・球に2つ穴が空いたもの・3つ空いたもの等の模型を頭の中で作り、それらに±の電極を付けて電流を流し、その流れるのを見て安心した。
 リーマンが数学史上最高峰と思うのは私だけではない。「ディリクレの原理」とはリーマンが発見し、師ディリクレの名をとって名付けた大原理であったが、後にリーマンの見事な証明に不備がある事が判った。クラインはリーマンの死後、ゲッティンゲン大の教授になったドイツ人で、生涯リーマン一辺倒であった”
 以上の岡青年の言葉を説明すると、”球・ドーナツ・球に2つ穴が空いたもの”とは閉リーマン面の模型で、リーマンは変分法の「ディリクレの原理」を基礎に、閉リーマン面上における解析関数の存在定理を確立し、その土台の上に複素変数関数論を構築したが、「ディリクレの原理」の適用の仕方に不備がある事をワイエルシュトラスは指摘した。但し、変分法とは関数を導関数を含む定積分の形に変化させ、最適値を取り出す関数を求める手法である。
 一方クラインは、厳密な証明でリーマンの不備を補ったのではなく、閉リーマン面上に正負の2極を配置し、電流を流す状況を想定し、電流が流れる事を確信したに過ぎなかった。だが、その確信がそのまま解析関数の存在を保証する事を、ポアンカレを通じて理解した岡青年は深く心を打たれたという。

 その岡潔だが、大学生の時、”計算も論理もない数学をやってみたい”と語り、周囲を驚かせた。事実、解析関数の存在に寄せるクラインの確信を支えたのは計算でも論理でもないから、岡潔の言った事は間違ってはいない。
 こうして岡潔のリーマンへの憧れは高まり、後に岡潔の多変数関数論研究に大きな影響を与えたリーマンのアーベル関数論だが、4篇の論文に分けて公表された。最初の3篇はどれも短編で、既述したリーマンの学位論文の簡潔な要約で、第4論文「アーベル関数の理論」の助走の役割を果たす。
 但し、リーマンの学位論文の謎は深く、特に大きな壁となったのが、「コーシーの複素関数論」との関係を解明する事にあった。そのコーシーの狙いは計算が困難な実定積分の数値算出にあり、その為に考案されたのが”留数解析”だが、これはアーベル関数論とは無関係で、複素関数論には2つの異なる契機が存在する事になる。

 そこで視野を拡げ、複素数(虚数)導入の歴史を遡ると、西欧近代数学史の源流に辿り着く。まず、代数方程式を解こうとすると頻繁に虚数(虚量)に直面するが、16世紀の数学者カルダノ(伊)はこれを一概に排除せず、√(−9)を例に挙げ”√(−9)は−3でも3でもないが、何か秘められた第3の種類の数(量)である”との不思議な言葉を書き留めた。一方デカルトは、”虚”を”想像上の”(imaginarie)という意味で使用した最初の人物で、拒絶の姿勢を示す事はなかった。
 更に、ヨハン・ベルヌーイは虚数の対数を排除せず、円の面積を虚数の対数に帰着させる不思議な等式”log√(−1)/√(−1)=π/2”を発見し、オイラーは後年”ベルヌーイの美しい等式”と呼んだ。事実、17世紀の初め、ヨハンとライプニッツは負数と虚数の対数の正体を巡って激しく議論したが、この論争は立ち消えになるも、半世紀後にオイラーはこれを継承し、”対数の無限多価性”という対数の本性の洞察に成功する。また、ヨハンの不思議な等式もオイラーの確信を深めるに有効に働き、”対数の無限多価性”の認識こそが、複素変数関数論泉と見るべきであろう。


コーシーの定理とリーマンの創意

 こうして、カルダノ、デカルト、ヨハン、ライプニッツ、オイラーと辿ると、皆虚数というものに深い実在感を抱いてた様子が伺えるが、コーシーだけは虚数を記号の一種とみなし、計算式の羅列に執着し、虚数の実在感が欠如してる様にも思える。
 例えば、留数定理が成立する根拠は、解析関数の閉曲線に沿う積分に関する「コーシーの定理」であり、事実コーシーは有理関数や指数関数、対数関数や三角関数等の身近な関数に対し、自らの定理を適用したが、従来の手法では困難だった実定積分の計算を遂行し、数値の算出に成功した。
 ただ、この定理が適用できるのは解析関数に限られ、逆にこの定理をもって解析関数の定義とする事も可能かもだが、コーシーは関数の解析性を無視したまま定理の適用を続けた。つまり、コーシーの定理に見合う命題を発見し、様々な関数に適用したのではなく、”閉曲線に沿って積分すると積分値が0になる”という事実に気付いただけかもしれない。
 確かに、既知の関数を組み合わせて構成される関数は大抵が解析関数だから、成功する確率は高く、手法の斬新さが際立った結果とも言えるが、結局は長い年月をかけて”コーシーの定理の適用可能な関数”の範疇の認識に至る。但し、コーシーの定理に通じてた筈のリーマンの学位論文には、その影は見られない。

 コーシーは実定積分の数値計算の手法の探索から出発したが、リーマンは逆に”関数”の概念規定を模索する所から説き起こした。かつて、実関数の概念はオイラーに始まり、コーシー、フーリエ、ディリクレと辿り、”完全に任意の関数”に達したが、リーマンの「1個の複素変数関数」は”完全に任意の関数”ではない。
 実際リーマンは、”完全に任意の関数”に適切な条件を課し、目的を叶える特殊関数を浮き彫りにする。まず、z,wを複素数とし、wはzのディリクレの実関数(L関数)とするが、複素数を複素数で返す関数である事に注意する。
 ここで、z→w(z)の1対1対応を考えると、微分(変化量)を前提とし、更にdw/dzの値がdzに依存しないとの条件を課す。
 実際、dz=dx+idy,dz⁻=dx−idyとして、dx=(dz+idz⁻)/2,dx=−i(dz−idz⁻)/2と変形し、dw/dzを偏微分方程式に直して計算すると、dw=du+idv=∂udx/∂x+∂udy/∂y+i(∂vdx/∂x+∂vdy/∂y)=(∂u/∂x+i∂v/∂x)dx+(∂u/∂y+i∂v/∂y)dy=1/2・[(∂u/∂x+∂v/∂y)+(∂v/∂x−∂u/∂y)idz+1/2・[(∂u/∂x−∂v/∂y)+(∂v/∂x+∂u/∂y)i]dz⁻と変形し、dw/dz=1/2・(∂u/∂x+∂v/∂y)+1/2・(∂v/∂x−∂u/∂y)i+1/2・[(∂u/∂x−∂v/∂y)+(∂v/∂x+∂u/∂y)i]dz/dz⁻を得る。 
 従って、(∂u/∂x−∂v/∂y)+(∂v/∂x+∂u/∂y)i=0になれば、dw/dzはdzに関係なく確定するが、これを満たす関数を今日では正則関数及び解析関数と呼ぶ。
 リーマンはこれを単に”関数と呼んだが、この様にリーマンが課した条件は「コーシー=リーマンの方程式」と呼ぶ連立偏微分方程式:∂u/∂x=∂v/∂y、∂v/∂x=∂u/∂yを満たす。

 この様なリーマンの創意は見事であるし、彼が課した条件は関数の解析性の定義そのものだが、なぜリーマンはこの様な定義を選んだのか?これには”変化量としての微分”の意味を明らかにする必要があるが、それには微積分の形成史を遡る必要がある。
 かつて、ライプニッツとベルヌーイ兄弟(兄ヤコブ、弟ヨハン)は”変化量の微分”を語ったが、その狙いは曲線の理解にあった。一方、曲線を離れ、抽象的な視点に立って変化量と微分を語ったのがオイラーで、今日の解析学はオイラーと共に歩み始めた。
 オイラーは、実変化量zにてその微分dzを計算する規則を規定し、2つの実変化量w,zの微分dw,dzの比dw/dzに着目した。但し、この微分の計算が遂行されるのは簡単な形で与えられる場合に限られ、この比の数値が存在しない事はありえるが、存在する時は比の数値がdzに依存し、様々に変動する事はありえない。つまり、曲線の傾きが一旦決まれば、変動する事はない。
 だが、複素変化量の場合はそんな現象が起こりえる。リーマンはそこに実変化量と複素変化量の関数の本質的な差異を見てとり、”比dw/dzの値がdzに依存せずに確定する事をwがzの関数である為の条件”として課したのである。


関数の解析性とリーマンの解析接続 

 こうしてリーマンは、複素変数関数の解析性を微分可能性を通じて把握しようとしたが、その為に微分と微分の商を考察するのはオイラーに由来する流儀で、微分とは無限小変化量であり、無限小量の実態は0である。故に、微分商は0/0となり、意味のない記号となる。
 だがオイラーは、自著にて”0/0は有限の値を取る事があり、その数値に関心を寄せる”と誇らかに宣言。0/0の計算法を平然と認め、まるで関数はみな微分可能とみなすかの様な姿勢ではあったが、無限解析という名の微積分の建設を目論むオイラーにとって、微分可能でない関数を考える理由はない。
 一方でコーシーは、関数の微分可能性を問う課題に応じ、極限の概念を根底に据える方針を採用したが、微分と微分の比の代りに”平均変化率の極限の存在の有無”を問題にした。
 故に、この流儀だと実変数関数に限らず複素変数関数に対しても、全く同じ形の定義を書く事が可能となり、「コーシー=リーマンの方程式」もそこから導ける。
 因みに、コーシーの平均変化率による微分可能性の定義だが、関数y=f(x)がaにて微分可能とは、極限値:lim[h→0](f(a+h)−f(a))/hが存在する事を意味するが、(f(a+h)−f(a))/hはaとa+hの間の平均変化率となる。またこの定義では、xが実変数でも複素変数でも微分可能性が得られる。それに、複素変数の時は自ずと「コーシー=リーマンの方程式」が得られる。

 但し、コーシーが実関数変数の微分可能性の定義を書いたのは、1823年刊行の自著内での事で、複素変数関数を対象にして同じ形の微分可能性の定義を書いたのは、「虚変数関数にて」(1851)の中で、実に28年のブランクがある。
 一方、リーマンの学位論文の提出は1851年12月だから、リーマンがコーシーの定義を知らない筈もないが、リーマンは複素変数関数論の建設にあたり、コーシーではなくオイラーに倣って微分商の挙動を観察したのだろう。
 つまり、リーマンは微分可能性の考察にて、実関数と複素関数の差異の本質が顕になる道を選んだが、コーシーの定義だと実関数と複素関数で同じ形になり、両者の差異が判り辛い。一方、論理的視点で言えば、リーマンの微分可能性の条件は「コーシー=リーマンの方程式」と同義ではあるが、リーマンはオイラーを起源とする無限解析の延長上にて複素解析を構築しようとした。
 こうしたリーマンの卓抜な洞察を理解し、共鳴及び共感するには、デカルトからライプニッツ、ベルヌーイ兄弟に至る「曲線の理論」とオイラーの無限解析を前もって深く理解する必要があるが、リーマン以前の長大で濃密な数学の流れがみなリーマンに流れ込み、統合され、纏まりある理論が形成される様が伺える。

 少し長くなったので、今日はここまでです。
 次回は”関数とは何か?”というテーマで、リーマン面を経由し、アーベル関数論へと歩を進めたいと思います。